父からサルをプレゼントされた
――黒鳥さんがサルを好きになったきっかけは、学生の頃にお父さんからカニクイザルを贈られたことだったそうですね。
父は大学の船に乗って1年の大半を海の上で過ごす仕事をしていて、帰るたび家に色々なものを持って帰ってきていました。家の中は博物館のような状態で、トドの頭とかクジラの骨とか、変なものが色々ありましたね。当時はワシントン条約が批准されるずっと前で、野生動物と他の品物との交換が行われていた時代。アラスカからソリをひく犬を連れて帰ってきたこともありました。
そんな父から、ある時「オランウータンか、カニクイザルか、どちらがいいですか?」という手紙が届いたんです。オランウータンは成長すると大きくなるから、ほっそりしたカニクイザルをお願いしました。
残念なことに1年ほどで亡くなってしまったのですが、私にだけなついてくれて、すごくかわいがっていましたね。向こうも頼りにしてくれているのを感じましたし、いつも一緒に過ごしていました。
――その経験から、動物園の飼育員を目指すようになったのですね。
1978年に東京都の公務員試験を受けて、上野動物園の飼育員になりました。面接で「私はサルを担当したいです」と言ったら驚かれましたね(笑)。
――当時の動物園には、飼育員の誰もがやりたがるような花形の動物もいたのでしょうか?
脚光を浴びたのはジャイアントパンダのランランや、ゾウの飼育係でしょうか。ただ、飼育員内ではどの動物が特別ということもありませんでしたし、人気の動物だからみんなやりたがるというわけでもなかったですね。あまり目立たない動物でも、どれも奥が深いんですよ。そういう動物の方が飼育の自由度が高いこともあって、みんなそれぞれの持ち場で思い入れを持って働いていました。
ゴリラのまっすぐなコミュニケーション
――1980年にはゴリラの飼育員に配属されます。『恋するサル』の中では、ゴリラは「繊細」だと書かれていますね。そんなゴリラの飼育となると、最初の頃は大変だったのでは?
新人の頃はとにかく「忍耐」の日々でした(笑)。最初の1、2週間は呼んでも来てくれないし、とにかく言うことを聞かないんですよ。向こうもこちらを試しているから、知っててそっぽをむくんですよね。動物が移動する通路が上にあって、飼育員は「シュート」と呼ばれるその下の通路を歩くことが多いのですが、上からおしっこをかけられたことも何度もありました。
ただ耐えているだけではバカにされてしまうし、かといって怒っても良い関係を築くことはできません。ゴリラが私の様子を観察するように、とにかくこっちもゴリラの様子を観察しました。シュートを通る時は私が見ていない時にいたずらをしてくるとわかったので、上を見て、名前を呼びながら通るようにしたり。そうして半年ほど工夫していると、次第にゴリラたちも私を認めてくれるようになりました。
――ゴリラとの関係について、本の中で「言葉がないから問題を後回しにすることができない。だからその瞬間に向き合って解決していくしかない」と書かれていたのが印象的でした。
そうですね。首に縄をつけて引っ張るようなことはできないので、ゴリラに納得して動いてもらうしかない。何を望んでいるのか、常に考えながら向き合っていました。「今日はこのあと人と会う用事がある」という時ほど、なかなか言うことを聞いてくれないなんてこともありますが(笑)。こちらの様子を見破っているのかもしれませんね。
言葉がない動物とは分かり合えないと思う人もいるかもしれませんが、やり方が違うだけなんです。人間の複雑なコミュニケーションより、ゴリラとのまっすぐで土臭いコミュニケーションのほうが心地いい時もあります。
チンパンジーの群れは、人間社会のよう
――チンパンジーはどんな特徴がありますか?
チンパンジーは人間に一番近い生き物だと言われていて、まわりをよく意識していますよね。群れの中での関係性が複雑で、人間社会を見ているようだと感じることもあります。ゴリラのほうがストレートで私は好きですね(笑)。
印象に残っているのは、ジンというオスのチンパンジー。ジンはピーチという序列の中でもトップにいたチンパンジーから生まれたのですが、ピーチは育児放棄をしてしまったんです。
私が担当になる1年前には人工哺育を行い、その後群れに戻すために養母を探しました。色々なチンパンジーにジンを見せる中で、一番熱心に世話をしてくれたのが、群れでの序列がほぼ最下位のサザエ。サザエは群れの中でも孤立しがちでしたが、ジンを群れの中に溶け込ませるため、恐怖で失禁しながらもボスのチンパンジーにしっかり挨拶をするなど、とても偉かったです。
私は途中で異動になったためその後を見届けられてはいないのですが、ジンは今ではすっかり大人になり、群れの中に馴染んでいるそうです。
黒鳥さんを助けてくれた「ジプシー」
――本当に複雑な関係や序列が存在しているんですね。では、オランウータンはどうでしょう?
オランウータンといえば、多摩動物園のジプシーの存在を抜きには語れません。3歳頃に多摩動物公園にやってきて、2017年に62歳で亡くなったのですが、あのお方は本当にすごいですよ。
好奇心が強く、こちらの状況をすぐに理解して私を助けてくれることが多々ありました。飼育舎を引っ越すことがあったのですが、率先して輸送箱に入って「大丈夫だよ!」と他のオランウータンに伝えてくれることもありましたね。
――ジプシーはすごく穏やかな表情をしていますね。
そうですね。他のオランウータンとも顔つきが違っていると思います。怒ることもまったくないし、穏やかな人でした。……あ、人じゃないですね(笑)。
ジプシーは人間の行動に強い興味を持って、自分でもやりたがるんです。ハーモニカを吹いたり、うちわであおいだり、デッキブラシで掃除をしたり……どんな道具も人間そっくりに使いこなしていました。
ただ、ジプシーは自分から興味を示すから特別で、オランウータンに積極的に道具の使い方を教えることは基本的にありません。彼らを見世物にはしたくないからです。一時期はメディアがサルを人のように扱うこともありましたが、近年は彼らの自然な行動を理解して守ろうとする動きが進んでいます。大型類人猿には人と似たところもありますが、人の都合で擬人化することは問題があると思います。
――オランウータンやゴリラの、ありのままの姿を大切にすることが求められているのですね。ジプシーとの思い出で、印象に残っていることはありますか?
当時、私とジプシーがいた多摩動物公園では、飼育舎と雑木林のある飛地を結ぶ高さ15メートル、距離150メートルの「スカイウォーク」を作る計画が進んでいました。本来樹上を行き来して暮らすオランウータンが、野生に近い環境で生活できるようにするものです。ジプシーも渡って行って木の上に登って、ずっとそこでのんびり過ごしていました。
木に登ること自体、それまでの飼育環境では見られなかったものです。ジプシーはその他にも、野生のオランウータンに見られる行動を次々にとりました。多摩動物公園に来る前、自然の中でジプシーはこんな風に過ごしていたのかなと思って、胸が熱くなりましたね。
類人猿たちと一緒に年を重ねて
――動物の本来の行動様式にあわせて環境を作る、「環境エンリッチメント」の一例ですね。本を読むと、この数十年で動物園のあり方や人間と動物のかかわり方が動物を尊重するものへと変化していることに気づかされます。黒鳥さんも、現在は野生のオランウータンなどの保全活動に関わっていますよね。
野生のオランウータンやチンパンジー、ゴリラたちは人間の熱帯雨林開発によってどんどん居場所をなくしていて、このまま何も手を打たなければ絶滅してしまう状況にあります。
類人猿たちと過ごしていると、「本当に人間が一番賢い動物なのか?」と考えることがよくあります。知的で、言語というコミュニケーションを獲得した私たちですが、言葉があるゆえにすれ違ったり、傷つけあったりすることも日常茶飯事。もちろん彼らも争うことはありますが、それが他の種の生命を脅かし、世界全体にダメージを与えるようなことはありません。
大型類人猿も同じ「ヒト」。彼らのような隣人が、人間が理由で減っているのは悲しいことです。彼らのことを知ると、人間だけが特別なのではなく、しゃべらないけれど同じようにやさしさや愛情を持った動物だということが理解できるはず。まずは彼らについて色々なことを知ってもらいたいと思っていますね。
――動物たちに愛着を持つと、彼らが直面している問題も身近なこととして考えられる気がします。
そうですね。本当に、僕にとっては一緒に年を重ねてきた存在なんですよ。飼育員として働き始めた時にはまだ若くて気性が荒かったゴリラが、年をとるとだんだん穏やかになってきたり。10年、20年と長いスパンで彼らと時間をともにしていると、人間とほとんど一緒だなと感じることがあります。
しかも、彼らは昔のことをよく覚えているんですよ。悪いことをしたらずっと根に持っているし、信頼関係を築いた人のことは忘れない。長いこと会っていなくても、明日僕が行ったらそれまでの続きのように普通に仕事ができると思います。そんな記憶力の良さにも驚かされますね。