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「コロナの経験」本でひもとく きっと世界は優しくなるはず 書評家・江南亜美子さん

イタリア・ミラノで再オープンしたドゥオーモ(大聖堂)を訪れる旅行客ら=2月11日、ロイター

 新型コロナウィルスが世界中に猛威をふるい始めて、約一年。長期戦に入り、罹患(りかん)者数や死者数が毎日レポートされる状況に心底疲弊しつつも、私たちは一方で、慣れからくる感覚麻痺(まひ)に陥っている。未知の病から、既知のそれへ。ワクチン開発と接種開始によって、終息までの希望も多少見えてきた。

 しかし本当に事態は終わるのか。コロナ以前とは決定的に何かが変わったのではないか。

暮らしの中の声

 この感染症の情報がまだ乏しかったころ、カミュの『ペスト』やデフォーの『ペストの記憶』が人々によく読まれたのは、パンデミック下の人間心理がつぶさに描かれていたからだ。不安を煽(あお)って金儲(もう)けに走る者、身分格差を踏み台にして自分だけ助かろうとする者、元凶を弱者に押しつけるデマを流す者……。非常時の集団心理のありようは、昔もいまも、似たり寄ったりだとよくわかる。

 だがこうした悪や愚かさと同じぐらい、理念の強さもやっかいなものだと『ペスト』では語られる。正義感とヒロイズムの暴走を抑制するように、「謙虚な心構え」が必要だと説くのだ。

 日本では、自粛警察と呼ばれる行為や、特措法の厳罰化を求める声が高まった。他者批判は過熱しやすい。しかしそこに陥らず、淡々と目の前の仕事をすること、そしてゆるやかに連帯して助け合うことこそが、人間の真の善良さのあらわれだとカミュはいう。

 『デカメロン2020』という大判の書籍には、24人のイタリアの若者たちが、コロナ禍でロックダウンされた暮らしのなかから発したナマの声があふれている。名もなき個人たちの、友達を案じ、未来を惧(おそ)れ、勉強し、庭のみかんを隣人と分け合ったりする日々の記録だ。

 身体は物理的に距離をとっていても、どう人を思いやれるか。私権の制限にいかに敏感にいられるか。この経験にもがいた若者たちが作るこれからの世界は、いまよりきっと優しくなるはずだ。

仔細に写しとる

 新型コロナウィルスについて、分析・解説した書物も多く刊行されだした。なかでも『コロナ禍をどう読むか』は、人文系の学者や作家の割合が多い16人による、8の対談を収録。ときに戦争で喩(たと)えられるような、ウィルスVS人間の対立図式自体を疑うところから始まる。

 グローバル化の加速と、人間は自然を制圧可能だとする傲慢(ごうまん)さが、この感染症の蔓延(まんえん)を引き起こした遠因ととらえ、人類を頂点とする人間中心主義(ヒューマニズム)からべつの次元へと思考をいざなう点は、カミュとも響きあう。

 地球温暖化や環境問題まで射程をのばし、自然や生態系への正しい「畏怖(いふ)」とともにあれ、とのメッセージは、多くの対話に共通のものだ。

 コロナと日常というテーマを、驚くべき筆致で描いたのが、乗代雄介の小説『旅する練習』である。感染症が蔓延する直前の三月、作家である叔父と中学受験の終わった姪(めい)の亜美は、千葉から茨城まで、徒歩での数日間の旅に出る。作家が利根川沿いの情景を文で写生する間、亜美はリフティングしながら彼を待つ。サッカー少女なのだ。

 亜美はジーコの生きざまから、大切なことに生き方をあわせる、との指標を得る。彼女の成長のたのもしさ、旅の思い出を、叔父が仔細(しさい)もれなく書きつけたその理由は、ラストで明かされる。日常がとつじょ奪われる不条理に対するなけなしの抵抗の方法が、記録と記憶だったのだ。

 私たちは日常のかけがえのなさを、この間、いやというほど味わった。コロナ後の社会を、死を想(おも)い、謙虚さとともに再生できるか。人文知の力が試されている。=朝日新聞2021年2月20日掲載

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