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江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎…探偵小説はいかに〈狂気〉を表現したか 鈴木優作「探偵小説と〈狂気〉」書評

文:朝宮運河

 かつて「探偵小説」と呼ばれていた日本のミステリーは、〈狂気〉をどのように描いてきたか。鈴木優作『探偵小説と〈狂気〉』(国書刊行会)は、気鋭の国文学者がこの魅力的なテーマに迫った論考集である。

 戦前から戦後にかけ、日本の探偵作家たちはさまざまな形で〈狂気〉というモチーフを扱ってきた。犯罪者の心理を〈狂気〉と結びつけた江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」、記憶喪失者が語り手をつとめる夢野久作の『ドグラ・マグラ』、〈狂気〉や犯罪を生む血統を想定した小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』――。探偵小説ファンならいくつもの作例が思い浮かぶだろう。
 しかしそれらは怪奇・幻想の文脈で受け止められることが多く、作中における〈狂気〉の意味合いや背景は検討されることなく放置されてきた。著者はその点を鋭く指摘し、〈狂気〉には「物語を演出するムードに留まらず、物語のドラマツルギーを担う多面性がある」と主張する。そして〈狂気〉を通じて探偵小説を読みなおすことで、このジャンルが秘める「時代に対しての批評性」を明らかにしようとするのだ。

 もちろん探偵小説における〈狂気〉といっても、その描かれ方は千差万別。著者は科学と〈狂気〉の関わり、刑法上の〈狂気〉、民俗学的な〈狂気〉など五つの角度を設定し、その多面性を示してゆく。取りあげられているのは夢野久作、大阪圭吉、小酒井不木、江戸川乱歩らの12作品。中には大下宇陀児・水谷隼・島田一男が合作した「狂人館」のようにかなりマイナーな作品もあるが、概略が紹介されているので、読み通すのに不安はない。

 冒頭で論じられるのは、小栗虫太郎の「後光殺人事件」。天人像の頭上に後光がさすという宗教的奇蹟を扱った作品だが、著者はこの作品の背後に、明治末から大正・昭和にかけて巻き起こった新宗教ブームを見る。当時の新宗教団体の中には、トリックを用いた奇蹟で信者獲得に走るものがあり、科学サイドからの批判がなされていたという。これは偽の奇蹟が犯罪のカモフラージュに使われる「後光殺人事件」の構図とよく似ている。奇想天外な犯罪を描き、実社会と隔絶しているようにも思われる小栗の探偵小説も、同時代の〈狂気〉をめぐる言説としっかり響き合っていることが分かる。

 個人的に興味深かったのは、「夢遊病と犯罪をめぐって」と題された第七章。浜尾四郎の「夢の殺人」という短編を取りあげ、大正・昭和初期の夢遊病をめぐる言説を、有名なドイツ映画「カリガリ博士」の影響にも言及しながら掘り起こしている。
 私はかねてから、戦前の探偵小説でしばしば夢遊病が描かれること、そのイメージが今日の夢遊病とはだいぶ異なるらしいこと(シリアスな症例として登場する場合が多い)が気になっていたが、本書によると「人工的に夢遊病患者を作れるという考えは虚構上のものではなく、実際に当時の心理学・精神医学言説にみられるものであった」という。そのうえで、夢遊病者像に新たなイメージをつけ加えた浜尾作品を「新たなドラマツルギーを切り開いた」と評価する。

 このパートの結論からも分かるように、本書の実証的研究の向かう先は、探偵小説の再評価にある。日本の探偵小説は〈狂気〉をめぐる同時代の言説をさかんに取り入れ、ドラマ作りに生かしながらも、それを批評するという役目も担ってきた。本書には探偵作家たちのそんなしたたかな戦略が、鮮やかに刻まれているのだ。〈狂気〉というレンズによって探偵小説の新たな魅力を発見するという本書の目論見は、成功したといえるだろう。

 著者の鈴木優作は、夢野久作の『ドグラ・マグラ』をきっかけにこの道に進んだ若手の文学研究者。戦後作品までを視野に入れた壮大な「〈狂気〉のミステリー史」の構築を目指しているというので、今後の活躍が楽しみだ。