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小林多喜二「蟹工船」 現代に通じる過酷な労働

こばやし・たきじ(1903~33)。小説家

平田オリザが読む

 十九世紀末に産声を上げた日本の近代文学は、一九○○年代にほぼ完成を見て、大正期には爛熟(らんじゅく)の時を迎えた。一方、日本国は第一次世界大戦で漁夫の利を得て一等国の仲間入りをしたが、分断が進み社会の不安は増大するばかりだった。度重なる戦争は国民に大きな負担を課したが、しかしその恩恵は一部の者にしか行き渡らない。

 大正デモクラシーが幾多の分裂の後に共産主義運動、地下活動へと変容していくように、白樺派に代表される大正文学の人道主義もプロレタリア文学へと形を変えていった。小林多喜二の「蟹工船(かにこうせん)」は、その代表的な作品だ。

 本作では、北洋の蟹漁の船内の過酷な労働と、その労働者たちが団結に目覚める過程が、生き生きとした描写で描かれる。東北の農家の次男、三男を中心に北日本の食い詰め者たちが、目先の賃金に吸い寄せられるように集められ、北の海の地獄へと送り出される。命の値段は水に漂う木の葉のように安く、人々はあっけなく死んでいく。

 冷凍保存技術のなかった当時、蟹は獲(と)れたそばから船上で缶詰になった。蟹工船とは文字通り「工船」であるから航海法は適用されない。と同時に純然たる工場でもないから工場法も適用されない。いまで言えば歪(ゆが)んだ経済特区のような空間で、資本家は搾取し放題となる。

 二○○八~〇九年、派遣村などが話題になった時期に、空前の「蟹工船」ブームが起き漫画にもなったので、そちらで読んだ方も多いのではないか。様々な角度から、現代社会と通底する面がある作品で、最近は「現代の蟹工船」という比喩が一般にも使われるようになった。

 本作の発表は一九二九年。その後、不敬罪、治安維持法違反で起訴される。三一年に保釈出獄するが、二年後に再逮捕。そして、その日のうちに拷問により警察署内で死亡。

 日本近代文学は、誕生から半世紀も経たないうちに、大きな岐路に立つこととなった。=朝日新聞2021年3月20日掲載