- 料理なんて愛なんて(佐々木愛、文芸春秋)
- 9月9日9時9分(一木けい、小学館)
- つまらない住宅地のすべての家(津村記久子、双葉社)
役人や政治家に限らず、誰もがこれまで無自覚だった言動について、改める時が来ている――という意識はあっても、具体的になにをどう考えるべきなのか、今(いま)一つよくわからないという人も多いのではないだろうか。
オール讀物新人賞を受賞し、一昨年デビューした佐々木愛の初長編作『料理なんて愛なんて』は、何気(なにげ)ない描写で読者の胸を衝(つ)く。
鉄道関連の会社に勤める優花は、料理が嫌いで苦手意識も強く、ほとんど自炊することなく暮らしていた。ところが、好きになった相手の好みは「料理上手な人」。見事に失恋した優花は、「大切な人ができたら変われる」「料理は愛情」といった常套句(じょうとうく)に苦しみながら、苦手を克服しようと奮闘する。その頑張りを、愛する人を振り向かせたい一心として描いているのではない点が素晴らしい。料理は女の、妻の、母の役割という「思い込み」を、どう捉え、向き合っていくのか。読み進むうち、根深い問題にも気付かされる。
一木けい『9月9日9時9分』は、忘れかけていた「あの頃」の気持ちが蘇(よみがえ)る、高校一年生の漣(れん)と、同じ高校に通う先輩・朋温(ともはる)の恋物語だ。初めて人を好きになる、恋の始まりのときめきやきらめき。戸惑いや葛藤が、繊細に鮮やかに紡がれ、胸の奥で言葉が鳴るような高揚感が伝わってくる。実はふたりの恋には、漣の家族にとって受け入れ難い事情があるのだが、読者は父、母、姉それぞれの立場に、自分を重ねて考えずにはいられなくなるはず。
約八年間をタイで過ごした帰国子女の漣が「見抜く」物事。絶妙な友人たちとの距離感。人にはそれぞれに傷があり、その癒(いや)し方も違う。あたり前のことを、あたり前だと切り捨ててしまわない、誠実な切実さが深く残る。
一方、津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』は、掘り下げるのではなく横に広げる形で、袋小路になった路地に建つ十軒の「家庭の事情」を浮き彫りにしていく。
二つ隣の県の刑務所に収監されていた女性横領犯が脱走し、この近くに向かっているらしいという情報から、交代で見張りをたてることになった住人たち。まずは、その過程で順番に語られる家族構成も職業も見事に異なる人々が抱えている問題が、たまらなくリアルで目が離せなくなる。御近所付き合い、というほどの関係性もなかった人々の現状が、ささいな関わりから少しだけ変化し、やがて意外な繋(つな)がりが明らかになる展開は、「巧(うま)い!」と、つい声に出してしまったほど。
自分はどう感じているのか。他者にはどう見えているのか。主観と客観、ふたつの眼を持つ感覚も養える。=朝日新聞2021年3月24日掲載