1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. スマートさと真逆の世界を描く「ザラザラ感の濃い本」を読む 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史さん

スマートさと真逆の世界を描く「ザラザラ感の濃い本」を読む 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史さん

春の見沼田んぼ福祉農園。耕運機をかける=『分解者たち』から、森田友希さん撮影

 数えてみたらこの一年で五〇回くらい、オンラインの勉強会や集会やイベントで話をしていた。講義やゼミや会議を加えると、この何倍もの時間をパソコン画面に向けて語ってきたことになる。話しているあいだの引っ掛かりのなさと終わったあとの寂寥(せきりょう)感には今も慣れない。むしろ、慣れてはいけないという防衛本能が働いてしまう。

 オンラインで顔を見て話せば自分の考えを相手に伝えられると信じ始めていることが怖くなった私は、藁(わら)をもすがる気持ちで、ザラザラ感の濃い本を再読し必死に聴き手に薦めてきた。スマートさと真逆の世界を描く本ばかりである。そうでもしないと、いつか私は電子空間の住人となって言葉の生々しさを忘れてしまいそうだったから。

「正常」を見直す

 『分解者たち』は、埼玉県の見沼田んぼで大型機械や農薬を使わずに農業をして居場所を作る障害者と健常者たちの記録である。し尿処理施設やゴミ焼却施設もあるこの地域は、まさに大都市圏の生産・消費物の分解の場であるとともに、さまざまな背景を持つ人びとが、これは小説かと疑いたくなるほど劇的な協力関係と工夫と闘争を繰り広げる「可能性の場」である。

 私が印象的だったのは、朝鮮初中級学校でのキムチ頒布会での出来事である。著者たちと学校に一緒にやってきた男性が失禁するが、ある保護者の女性が配慮して、瞬く間にケアをする。ついには障害者のことを理解しようという機運が生まれ、障害者の組織のクリスマス会に学校関係者が参加するようになった。「冬もまた、にぎやかである」という本書の締めの言葉が、とても心地よい。

 『プシコ ナウティカ』は、精神科病院が閉鎖され地域が医療を担うイタリアが舞台だ。著者は、精神的な不調を抱く人びとと演劇活動に参加しながら、自分の「正常」な身体の輪郭がぼやけるような経験をする。「人間は、生物学的に人間であるからといって、社会的にも当(あた)り前に人間だというわけにはいかない」。生物学的な枠組みで人間が語られがちだったこの一年、この言葉に何度も救われた。著者は現在を生きる私たちが正常であろうとしすぎる病にかかっていると診断する。コロナ禍でより強固になったように思える、数えやすく御しやすい「正常」な人間像がガラガラと崩れていく感覚が気持ちいい。

身体の中で共生

 職業柄、食や農業について話すことが多いのだが、しばしば「食って生命の根源ですよね」というクリーンすぎる感想をいただく。そんな綺麗(きれい)なイメージの生成をあらかじめ阻止するために、毎回のように薦めているのが、『土と内臓』だ。

 人間の内臓と植物の土中の根のあり方がとても似ている事実を科学的に説明する。どちらも余分に獲得した栄養を微生物に漏らすようにばら撒(ま)いて、逆に微生物からは自らが得られにくい養分を得るという共生関係の構築を促しているという。この「大盤振る舞い」が、効率化せよ、無駄をなくせ、正常化せよ、という言葉が鳴り響く社会の中で疲れた心にじんわりと効く。「私たちの身体全体に、自然という大木の中の大木が生きた根を下ろしている」という語りに、肩の力がすっと抜けた。

人間の理解超え

 『植物は〈知性〉をもっている』は、人間による「植物の過小評価」を打ち砕く。地球の生命体の大先輩である植物は、根を土の中に張り巡らし、先端にある膨大な数のセンサーを用いて水分とミネラルを探る。植物の各器官はそれぞれ物質を通じて連絡を頻繁に取り、微生物や昆虫と共生する。人間の築き上げた科学文明がなんだか小さく見えてしかたがない。「人間は人間の知性と似た知性しか理解できない」という挑発的な台詞(せりふ)に、不思議と元気が出た。

 こうした本を薦めたら、学生たちから「リストにして」という依頼が押し寄せた。学生たちもオンラインに疲れ、学ぶ実感を渇望していたようだった。

 スマートでクリーンな生活や商品や仕事を現代社会は私たちに薦めてやまないが、摩擦なき社会はやはり退屈だ。空気の共有がしづらい冬の時代にこそ、常識を揺るがすようなザラザラした思考に浸りたい。=朝日新聞2021年4月3日掲載