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「ふつうに生きるって何?」 いまの愉しさ 自分で見付ける 朝日新聞書評から

評者: 坂井豊貴 / 朝⽇新聞掲載:2021年04月17日
ふつうに生きるって何? 小学生の僕が考えたみんなの幸せ 著者:井手英策 出版社:毎日新聞出版 ジャンル:人生訓・人間関係・恋愛

ISBN: 9784620326719
発売⽇: 2021/02/12
サイズ: 19cm/254p

「ふつうに生きるって何?」 [著]井手英策

 小学生の日常譚(たん)を通じて、一人の人間が生きていくことと、複数の人間がともに生きる社会とを語る作品である。著者は財政学の泰斗。税と再分配、そして人間心理への洞察が本書には込められている。
 主人公の愉太郎(ゆたろう)は小学5年生。気のよい男の子である。両親は離婚しており、母親と二人で暮らしている。生活は楽ではないが、母親は必死で働き、何とか愉太郎を塾に通わせている。息子の将来に多くを望むからではない。ただ将来「ふつう」に生きていけるようになってほしい。
 愉太郎は勉強に熱心ではない。友達がみな塾に通っており、放課後遊ぶ相手がいないから、何となく自分も通っているだけだ。そもそも愉太郎は自分が「勝ち目のない競争」をしていると認識している。自分の家庭では私立中学には通えないし、裕福な家庭の子にはかなわないと感じている。努力だけではスタートラインにさえ立てないことだってあるのだ。
 愉太郎は母親に問う。なぜそんなに自分は頑張らねばならないのかと。そもそもいまの時代は、よい学校や会社に入っても、将来が安泰なわけでもないだろうと。母親は当惑する。自分自身、よい学校を出ながら、いま大いに苦労している。自分は息子にあてのない「ふつう」を押し付けているだけではないのか。
 あるときは、愉太郎はゴミ集めのおばさんと公園で話す。その貧しいおばさんは昔、心の病気で職を失い、その後に苦労を重ねていた。おばさんは周囲の人や生活保護に頼るのは嫌なのだという。おばさんは頑張って、おばさんなりの「ふつう」を得ようとしている。
 愉太郎は思う。それでも貧しさに耐え、自分一人で自分を支えようとするのは、あまりに大変ではないかと。人間はそこまで色んなことを我慢したり、必死で頑張ったりせずともよいのではないか。そう考える愉太郎の目には、おばさんと母親が重なって映る。そして「おとなたちは何て人にたよるのがへたなんだろう」と思う。愉太郎は人々が頼り合える社会について考え始める。この思考は人間の頼り合いとしての、財政の礎でもある。
 やがて愉太郎はいま現在の状況のなかに、自分で嬉(うれ)しさや愉(たの)しさを見付ける力を咲かせていく。それは現在を、たんに将来の目標をかなえる手段として扱わないということだ。そしてもし目標がかなわずとも、そこまでの全ての瞬間が尊重されているということだ。資本主義の動力は将来への投資である。その世界に生きる人間は、現在を将来に隷属させがちだ。そのありようへの批判を、愉太郎の姿に読みとってもよかろう。
    ◇
いで・えいさく 1972年生まれ。日本銀行金融研究所、横浜国立大などを経て、慶応大教授(財政社会学)。2015年に『経済の時代の終焉(しゅうえん)』で大佛次郎論壇賞受賞。著書に『幸福の増税論』『18歳からの格差論』など。