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「未完の多文化主義」書評 深い亀裂が生んだ妥協の危うさ

評者: 生井英考 / 朝⽇新聞掲載:2021年04月17日
未完の多文化主義 アメリカにおける人種、国家、多様性 著者:南川文里 出版社:東京大学出版会 ジャンル:社会・文化

ISBN: 9784130561228
発売⽇: 2021/02/02
サイズ: 22cm/345p

「未完の多文化主義」 [著]南川文里

 この十数年、「多様性」という言葉ほど希望と失望のあわいで翻弄(ほんろう)された語もほかにないだろう。
 2008年の米大統領選で最高潮に達した希望が16年選挙で暗転した、というだけではない。米国史上初の「黒人」大統領誕生の意味を、反対勢力が「もはや多様性は実現され、人種差別の宿痾(しゅくあ)は乗り越えられた」と不当に読み替えたとき、「多様性」のはらむ危うさは既に明らかだった。
 本書はその危うさを精緻(せいち)に検証し、過去半世紀にわたる論争や運動の社会過程をたどって、トランプ時代へとおよぶ問題の核心を見極めた注目の論考である。
 キング牧師時代の公民権法制定からしばらく、米国は世界で「最先端の多文化主義国家」だった。しかし形式上の「平等」が実っても教育、雇用、生活全般の社会構造にしみついた「制度的人種主義」は打破されず、ベトナム戦争後の景気後退と保守化機運の中で反多文化主義が芽を吹く。
 マイノリティーを可視化する「人種」の数値化や「逆差別」論争など本書は論点を余さず検証する。特にニューヨークの公教育論争に触れた第6章が興味深い。
 多文化が平等に肩を並べる「円卓」をイメージした州教育長の提言に対して異議を唱えたのがリベラル知識人A・シュレジンガー・ジュニア。非白人のエスニックを重視する多文化主義を「西洋バッシング」と唾棄(だき)した彼はさらに「エスニックなチアリーディング」と非難、著書『アメリカの分裂』で反多文化主義を掲げた。リベラル陣営内部での国家観の亀裂である。
 この折衝過程で提言側は「反差別」色を控え、妥協策に「多様性の尊重」を押し出してゆく。かくて多文化主義はリベラルな合意からの「逸脱」と見なされ、代わって「多様性」がいわば「名ばかりの多文化」を担ってゆくのである。
 R・ローティの「文化左翼」批判をふくめ、諸々(もろもろ)の批判に丁寧に反論した終章も読みごたえがある。
    ◇
みなみかわ・ふみのり 1973年生まれ。立命館大教授。著書に『アメリカ多文化社会論』など。