良い年齢の大人が思春期の僻みめいたことばかり書くのはどうかと思うのだが、ぼくの高校生活はとても憂鬱だった。ぼくが心がけていたのは、髪がテカテカした眉毛のない連中からいじりの対象にされないように、息を潜め、気配を消して過ごすことだった。
当時のぼくは休み時間に本を読んでいるタイプの典型的なもやし学生で、中学校時代の経験からこのタイプはあまり標的にされずに済むと踏んでいたのだが、高校ではそれが通用しなかった。入学してすぐ、教室でラノベを読んでいた帰宅部の同級生が「あいつ、官能小説読んでるぜ」と笑われているのを見てから、ぼくは趣味を封印し、隠れキリシタンのように学校を離れてから読書を嗜むようになった。
そんな頃の話だ。駅前の本屋で『このミステリーがすごい!』を立ち読みしていると、その年の売り上げランキングというのが載っていた。全国の売り上げを集計したものではなく、ある一つの書店で売れた本を紹介する記事だった。ネットで調べてみると、その書店はミステリーの品揃えに定評があるらしい。通学時に乗り換える駅の近くだったこともあり、帰りがけに足を運んでみることにした。
その書店――千葉県船橋市のときわ書房本店は、まさしく楽園のようだった。棚にはミステリーの新作名作傑作が犇めき合い、あちこちに〈サイン本〉のラベルが躍る。平台には文字がぎゅうぎゅうに詰まったミステリー愛溢れるポップが並び、壁はサイン色紙で埋め尽くされている。だが隠れキリシタンのように人目を避けていたぼくが何より嬉しかったのは、ここにはきっと、自分と同じようにミステリーが好きな人がいる、ということだった。
などと言っておきながら、この場所で出会ったたくさんの本から一つを選ぶと、どういうわけかミステリーではない作品になる。直筆サインが入っていたのと、高校生でも手に取りやすい値段だったので、何となく手に取った。それが飴村行先生の『粘膜人間』だった。
身長195センチ、体重105キロの異常な肉体を持つ小学生・雷太が、父親の顔をめちゃくちゃに殴って全治1カ月の重傷を負わせる。弟の雷太に恐れをなした利一と祐二の兄弟は、河童に頼んで雷太を殺させようと決める。2人が河童と交流のある素性不明の男・ベカやんに相談すると、ベカやんは情報提供の見返りにあることを要求する――。
と、これだけのことが冒頭のわずか10ページで起こる。物語は濃度を落とすことなく結末まで暴れ続ける。ろくでもないことばかり起こるのに、なぜか愉快で堪らなくなってくる。小説はこんなことができるのか、と大変晴れやかな気分になった。
本の面白さは、いつ、どこで読んでも変わらない。けれど『粘膜人間』に関しては、あのとき、あの場所で出会ったことが自分にとって唯一の正解だったと思っている。