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戒律の外に、新たな地平 青来有一

イラスト・竹田明日香

 神仏をひたすら信じるだけが信仰ではなく、むしろ信と疑のあいだでゆれながら信仰は深まっていくのではないか、前回はそんなことを書きました。そのゆれと迷いのなかで、素朴な考えをひっくり返すような新しい信仰がかたちづくられることもあります。

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 わが家が門徒である浄土真宗には「善人なおもつて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という有名な教義が伝えられています。法然を師として、その教えを世に伝えることに尽力した親鸞から直接話を聞いた唯円が残した「歎異抄(たんにしょう)」に記されていて、「悪人正機説」として広く知られています。

 善人はもちろん悪人はなおさら救われるとするこの考えは、漠然と善人と救済を結びつけて考える私たちを今も戸惑わせるかもしれません。

 人間の煩悩は深く、たとえ善行を重ね、修行に励んでも限界がある。自力だけで極楽浄土に往生するのは難しく、仏の力に頼るしかないというのが、浄土真宗の「他力本願」の考えです。そのために仏にすがり「南無阿弥陀仏」とその名を唱えさえすればいい、と説く。「悪人正機説」もこのつながりで考えたら理解ができるかもしれません。

 高僧でなくても、だれでも「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるという考えは、当時の庶民の心をとらえました。ある意味、これほど平等な信仰もないでしょう。

 ただ、そうなると悪行はやり放題、「造悪無碍(ぞうあくむげ)」と呼ばれる危うい考えもあり、世は乱れに乱れることも考えられます。もちろん、そんな乱暴は否定されますが、法然らの専修念仏と呼ばれた布教活動は、他の宗派の反発をまねき、やがて朝廷も巻きこみ、法然も親鸞も流罪となる事件が起きました。

 35歳の時に越後に流罪となった親鸞は、赦免されると東国で布教し、90歳で没するまで布教活動に取り組んでいきます。波瀾(はらん)万丈のなかで信仰を貫いた人生に思えますが、親鸞もまた信と疑のあいだで迷ったことをうかがわせる話も伝えられています。

 有名な話では、比叡山での修行の断念後、29歳のとき、京都の聖徳太子ゆかりの六角堂に100日のあいだ参籠(さんろう)して、95日目に観世音菩薩(ぼさつ)が夢に現れ、親鸞がもしも女性と交わるという戒律を犯すことがあるなら、菩薩自らがその女性となって犯されて、極楽浄土に導いてやろうと告知されたという話です。「女犯偈(にょぼんげ)」といわれるこの話を初めて知ったとき、女性に化身して抱かれる菩薩のイメージがあまりに妖しく、艶(なま)めかしく、それこそ夢の残照のようにも感じました。この話がなにを意味するのか、さまざまな議論があるのでしょうが、「いわんや悪人をや」という考えにつながっているのはなんとなくわかるはずです。

 親鸞は、比叡山での修行では身辺から女性を遠ざけ、女性への思慕や欲望から目を背けていましたが、自らを深く凝視し、当時の僧侶の戒律を破り、恵信尼を妻としました。女性と結ばれるなど「悪」にほかならなかったはずですが、親鸞が新しい人生を切り拓(ひら)いていくには悪を生きるしかなかったはずで、「いわんや悪人をや」の教えと仏の夢の告知はその内面の支えになったかもしれません。

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 私たちは法や規則にもとづいて暮らし、心の奥底まで信念や美徳、主義など多くのルールでがんじがらめになっています。どれも必要なのですが、時には人間として生きるためにそれを破らざるをえない事態に直面することがあります。今、「悪」を生きるとき、私たちを支える信仰や思想があるのかと問われたら、なんとも心もとなくなります。まあ、ずっと善い人でいられたらいいのですが。

 晩年、親鸞は自らを「愚禿(ぐとく)」と名のりました。愚かなる凡夫の意味ですが、もしかしたら「愚禿」とは、かつての「悪人」が、長い時をへて好々爺(こうこうや)へと老成した姿だったのかもしれません。=朝日新聞2021年6月7日掲載