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篠田桃紅『これでおしまい』 研ぎ澄まされた極北の言葉

 今年の三月に一〇七歳で亡くなった美術家、篠田桃紅(とうこう)の文字通り『これでおしまい』と題された一冊。

 いま、つい美術家と書いてしまったが、篠田の歩んできた道はそのように職業的に固定できるものではない。幼くして書に関心を持ち、みずからの意思でその道に進んだ篠田は、しかし次第に文字からも意味からも逸脱していく。作品が抽象とか前衛と呼ばれたのは、そのようにしか呼びようがないからで、実際にはそれとも異なる孤高の存在であった。

 篠田は言葉の面でも過激なまでに自由で捉われがない。本領は最晩年に出された何冊かの著書で遺憾なく発揮され、歳(とし)を重ねるほどに研ぎ澄まされていった。本書は、その自由闊達(かったつ)さの中断された頂点で出されたと言ってよい。篠田が残したことばの極北かもしれない。

 煎じ詰めれば、著者はここで、「人生は最初からおしまいまで孤独」で、「人間は死ぬまで一生迷路に入って」おり、「幸福なんてものは主観」なのだから、「心の持ちようで、なんでも受け入れるほうがいい」と言っている。ものすごい考えだ。

 自ら人生を投じた芸術についても、「芸術なんていうのは全部無駄なこと」で、「富士山などに雪が降っているのを見ると、絵なんていうものは、吹き飛ぶような存在」なのだから、「何も描いていない状態が一番いい」のであって、むしろ世の中が「不幸だから芸術というものに、人は心を寄せざるを得ない」として憚(はばか)らない。

 これらは、文字数的にもショートメッセージのようだから、目を通すのにぜんぜん手間は要らない。だが、実は簡明そうでいて抽象を尽くしている。最小限の水と墨の濃淡、そして余白からなる篠田の絵のようで、読む者の内にある想像力を喚起する。人生訓とは対極だ。しかもそのすべてを最後の最後の「あとがき」で「世迷(よまい)い言(ごと)」と断ずる。やはり篠田桃紅は篠田桃紅以外のなにものでもない。=朝日新聞2021年6月26日掲載

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 講談社・1540円=7刷5万1千部。3月刊。読者の7割が女性で、「今よりしがらみの多かった時代に、自由をつかみ取った桃紅さんの言葉と人生が人々の心を打った」と担当者。