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秘密計画 澤田瞳子

 半年が経ったのでもういいだろうと告白すると、昨秋、人生初の入院・開腹手術を経験した。命に関わる病気ではない。予後も順調で、もはや傷跡さえ見なければ、それと分からぬほどの健康体だ。

 ただ緊急事態宣言こそ解除されていたが、コロナ禍真っただ中の入院である。見舞いはもちろん、手術中の家族の待機すら許可されず、術後の説明もドクターから電話で家族に行われるような状況だ。そのため入院が決まると、私は「家族とごく親しい人以外には、当分内緒にしよう」と決めた。特に仕事先の方々は、入院・手術と聞けば、お約束の締切(しめきり)が無事に守られるか、さぞ心配なさるはず。どうせ会えないご時世、懸念を増やすだけなら黙っておいた方がいいと考えた。

 当時は新聞の連載小説を抱えていたので、仕事を完全に手放せはしない。ノートパソコンを持ち込んでも、手術日から翌々日までは身動きできまいから、まずは三日間連絡がつかなくても大丈夫なよう調整して入院した。しかし、である。

 手術を終え、まだ麻酔で朦朧(もうろう)としている私に、「ご家族に電話していいですよ」と看護師さんがスマホを持たせてくれた。半ば眠った状態で電話をかけて寝ていると、おや、着信している。家族かな、飼い猫の声を聴かせてくれるのかなと出れば、なんと入院直前に原稿をやりとりした編集者さんだ。後日尋ねれば、その際の私があまりに必死に見えたので、案じてお電話を下さったらしい。仕方なく事情を明かし、彼女を驚かせてしまったが、かくして私の計画はもろくも二日目で瓦解(がかい)した。

 ただそれ以来、私は時々、思う。時に我々は人に会わないというだけで、自分は一人だと考えてしまう。だが会えない時も、実は人はひっそりと誰かとつながっており、縁とは目に見える瞬間だけが全てではないのだ、と。ならば人と会いづらい今でもなお、我々は決して孤独ではない。そんなことに気づかされた経験であった。=朝日新聞2021年7月21日掲載