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小川哲さんが高校時代に探し当てたレディオヘッドのアルバム「The Bends」

 十代の若者の身体に響く音楽というものがある。聴いているだけで気分が高揚し、今にも踊りだしたくなるような音楽だ。僕が十代だったころはSum 41、Offspring、Green Day、Simple Planなどの洋楽が流行っていて、軽音楽部はみんなHi-STANDARDの「STAY GOLD」を練習していた。それらの音楽にはポップ・ロックやメロコアという名前がつけられていた。当時はSpotifyもないしYouTubeもない。休日にタワレコへ行き、限られた小遣いでアルバムを購入し、MDに録音してみんなで貸し借りをしていた。

 かく言う僕も、それらのアーティストの曲を聴き、身体が勝手に踊りだすような感覚を得ていた。だが、その感覚自体が、ひねくれ者で天邪鬼だった僕にとって、何か警戒すべきサインであるかのように感じられたのだった。

 音楽とはアートである。当時の僕にとって、アートとは感性を高め、何かしら成長させてくれるものだった。今となっては「ずいぶんナイーブな考え方をしていたな」と笑いそうになってしまうが、当時はとにかく真剣だった。友人と楽しみを共有することや、己の快楽を得ることを、音楽に求めていなかったのだ。みんなが聴いていて、みんなが楽しんでいるポップ・ロックやメロコアを聴いても、自分の感性は成長しないのではないか、身体を理性によってコントロールすることに価値があるのではないか、そんなことを大真面目に考えていた。

 僕は実家の最寄り駅にあった小さなレンタルCD屋で、片っ端からアルバムを借りていった。そうやって見つけたのがRadioheadだった。最初に借りたのが『OK Computer』で、聴いてすぐに気に入った。それほど身体には響いてこないが、何かがありそうで、何かを得られそうな感覚があった。当時まだ新譜だった『Hail To The Thief』を聴いて、ついに自分は探し求めていたアーティストを見つけたのだと興奮した。少なくとも、僕の周りにはRadioheadの話をしている友人は誰もいなかった。

 結局、僕が繰り返し聴くことになったのは、三枚目に借りた『The Bends』だった。五百回以上は繰り返し聴いたと思う。昇降口で靴を履き替えながら、友人に「おはよう」と挨拶されて、イヤホンを外す。部活が終わり、夕暮れの国道を一人で下校しながら、イヤホンを耳につける。夜、ベッドに横たわりながら再生ボタンを押して消灯する。僕の高校生活の多くの場面に、BGMとしてこのアルバムがかかっている。

 大学生になって上京して最初に驚いたのは、Radioheadが世界的なアーティストだと知ったことだった、僕だけのものだと思っていた彼らの楽曲には、すでに無数のファンがいた(そもそも、最寄り駅の小さなレンタルCD屋に置いてあるようなアーティストなのだ)。Radioheadが好きな人から他のアーティストを教えてもらい、僕の音楽の趣味はより豊かなものになっていった。

 また、『The Bends』Radioheadの中でも比較的ロック寄りで、十代の身体に響く曲が多かったことも知った。あれだけ身体から目を背けようとしていたというのに、結局のところ僕は快楽に抗えなかったわけだ。

 今となっては、自分の好きな音楽を、自分の好きなように聴くことが一番かっこいいと思っている。周りと違う曲を聴こうと過度に意識することは、音楽の楽しみ方を限定してしまう行為であるとわかっている。しかしながら、自分が好きなものや、否応なしに吸い寄せられてしまうものに対して、強い意志で抗うことができるのも、若さが持つ特権なのではないか。そういった「何を認めるか」「何を認めないか」という決断の積み重ねが、大人になってからの価値観に影響していく。十代のころの自分の考えがすべて正しかったとは思わないが、「自分が好きなものを自分の意志で決定しよう」という志くらいは評価してあげてもいいような気がしている。