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高原英理・内田百閒・松原タニシ 「幽霊の日」にちなんだ異色の幽霊小説&ルポ3冊

鬼才ならではのハイレベルなホラー作品集

 『高原英理恐怖譚集成』(国書刊行会)は、昨年『観念結晶大系』が話題を呼んだ作家・高原英理が1980年代から2000年代にかけて発表した恐怖小説・怪奇小説をほぼすべて収録した作品集だ。普段足を踏み入れることのない薄暗い路地に迷いこんでしまったような、不安と不穏さに満ちた全12編。

 顔が半分しかない少年の噂が主人公を忌まわしい秘密へと導く「町の底」、大邸宅で家守のアルバイトをする学生がおぞましくも淫靡な事件に巻きこまれる「緋の間」、映画界を舞台に残酷の美学をとことんまで追求した「闇の司」など、収録作はいずれも緻密な構成と磨き抜かれた文体、濃厚な怪奇性を兼ね備えており、そのうえかなり恐ろしい。ここまでハイレベルなホラー作品集は、そうそう現れることがないだろう。

 山中異界に腐乱死体が漂うさまを幻視した集中屈指の傑作「水漬く屍、草生す屍」のように、安らがぬ死者の魂を描いた作品も数多いが、なぜ彼らが姿を見せるのか、なぜ災厄をもたらすのか、その理由は一切描かれない。それは幽霊というより「得体の知れない何か」とでも呼んだ方がしっくりくる存在で、かれらの領域に足を踏み入れた者は「よくない道」(おそろしく不気味な猟奇犯罪小説だ)の語り手がそうであったように、不条理な運命を受け入れるより他はないのだ。鬼才ならではの卓越した怪異表現を堪能していただきたい。

恐怖小説に特化した百閒アンソロジー

 東雅夫編『文豪怪奇コレクション 恐怖と哀愁の内田百閒』(双葉文庫)は、多彩な文業で知られる文豪・内田百閒の全作品から「怖い話」だけを選りすぐったアンソロジー。根強い人気を誇る百閒の選集はこれまで数多く編まれてきたが、恐怖小説に特化したアンソロジーは珍しい。

 巻頭に置かれた「とおぼえ」は蒸し暑いこの季節にぴったりの怪談だ。外出先で氷屋に立ち寄った語り手がラムネを飲んで涼んでいると、店主が後ろをふり返ってみろという。そちらにある墓地のあたりで、人魂のようなものが光るというのだ。落ち着かない様子の店主、噛み合わない会話、どこからか聞こえてくる犬の遠吠え。さりげない描写によって日常を異質なものに変化させていく展開の巧さは、まさに名人芸。背筋がぞっと冷たくなるような読書体験を味わえる。

 通読して感じるのは、登場人物たちの異様さだ。夫の遺品を求めて何度も主人公の家を訪れる「サラサーテの盤」の女性しかり、「皆さん、幽霊は居りませんよ。幽霊と云うものはいないのですよ」と生徒に向かって宣言する「青炎抄」の風変わりな教師しかり、微妙にピントのずれた言動が、読む者に言いようのない不安を掻き立てる。かれらは生きているのか、死んでいるのか。悪い夢のような百閒ワールドにおいて、人間と幽霊にはあまり違いがないのかもしれない。

「心霊スポットに飽きた」芸人の異色ルポ

 『死る旅』(二見書房)は、『事故物件怪談 恐い間取り』によって空前の事故物件ブームを巻き起こした芸人・松原タニシの最新刊。これまで13軒もの事故物件に住み、日本各地の心霊スポットを踏破してきたという著者だが、本書冒頭でいきなり「心霊スポットに飽きてしまった」と告白していて驚かされる。

 「体験すること」が目的だったはずの心霊スポット巡りが、いつしか「配信すること」に取って代わられ、当初の感動や恐怖も失せてしまった。それなのになぜ自分は心霊スポットを訪ねているのか? 本書は一躍オカルト界のスターとなった著者が、空虚な心を埋めてくれる刺激を求めて、日本各地やタイの心霊スポット、見てはいけない奇祭などを訪ね歩いた異色の怪談ルポルタージュだ。

 怨霊・七人ミサキにまつわる神社や、触れば即死する祟り石など、紹介されているスポットの強烈さと、淡々とした叙述のバランスがなんとも心地いい。全体に誇張がないだけに、時おり差し挟まれるささやかな異変がひときわ印象的だ。「僕にはエンターテインメントは向いていない」と綴っている著者は、その実あなどりがたい文章家なのである。

 本書後半ではさらなる未知を求め、死にまつわる場所に出かけていく著者。そこに彼の求める答えはあるのか。まれに見る実直さで幽霊や死と向き合う、松原タニシの今後から目が離せない。(文:朝宮運河)