わたしは美術評論家なので、日頃から美術作品や美術館での展覧会の評価(批評)を仕事にしている。だが、一般的に作品や展覧会の評価と聞くと、オークションでの値段や長蛇の列をなす企画展の入場者数などが浮かぶのではないだろうか。芸術も社会のなかで営まれている以上、否定はしない。だが、芸術の本質は単純に数字には換算できない。究極的には魂の救済(幸福)に関わるからだ。その点では宗教に近いかもしれない。
もっとも、宗教は目に見えない信仰にもとづく。芸術はその点で作品という「もの」を通じて万人に開かれている。わたしが本書を読んで強く感じたのは、ガウディの建築は、誰かの「作品」というより、すべてのひとがみずからの魂のあり方を振り返るきっかけとなる、人類に向けての壮大な「贈り物」なのではないか、ということだ。
著者は1978年以来、スペイン・バルセロナでガウディが構想したサグラダ・ファミリア贖罪(しょくざい)聖堂の彫刻を担ってきた。その著者が、現場で長くガウディの精神の体現である聖堂のために石を彫りながら辿(たど)り着いたのは、人間の幸福は「どれだけ何かを愛し、その自分でないもののために生きられているか」にあるのではないか、という着想だった。実際、ガウディはそのような境地でサグラダ・ファミリアに向き合い、その実現を未来に託した。こうした至上の愛を値段や入場者数で計ることはできない。根本的には無償の行為だからだ。
著者は、「何が本当に価値のあることなのか分からなくなっている時代」に、「犠牲を喜びに変えて生きていける知恵」に気づかせてくれるのが「サグラダ・ファミリアの思想」なのだと語る。おそらくは、それこそが「ガウディの伝言」なのだ。
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光文社新書・1045円。06年7月刊、16刷6万5500部。「著者のテレビ番組出演や、資料がほとんど残されていないサグラダ・ファミリアの謎を書き手と読み手が一緒に解いていく面白さがあるからでは」と担当者。=朝日新聞2025年7月26日掲載