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「サイコマジック」 魂と魂が交流する芸術のように 朝日新聞書評から

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月14日
サイコマジック 著者:アレハンドロ・ホドロフスキー 出版社:国書刊行会 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784336070357
発売⽇: 2021/06/25
サイズ: 20cm/457p

「サイコマジック」 [著]アレハンドロ・ホドロフスキー

 書評は一冊の本を剽窃(ひょうせつ)する行為にも似て、創造から遠い。どんな膨大な書物も簡単に要約して気の利いたコメントを加えるが、これは絵を描くようなクリエイティブな行為ではない。クリエイティビティのカット&ペーストだ。書評は絵画における模写というコピーで、パスティーシュ(模倣や意図的に混成したもの)は創造とは言わない。
 そこで本書から受ける霊感によってホドロフスキー体験を語りながら、彼とのコラボを試みよう。
 『サイコマジック』は僕にとってはさほど珍しくもない。芸術の原郷は本来サイコマジックだからだ。彼の世界初公開「エル・トポ」は、ニューヨークでピカソの息子のクロードの薦めでミニシアターに駆け込んだ。館内は阿鼻叫喚(あびきょうかん)。失神する観客、救急車出動、現実が虚構に反転、「何じゃ、これは!?」と急いで帰国。「エル・トポ、エル・トポ」とメディアで叫ぶが反応はゼロ。その翌年、日本で見た寺山修司が遅ればせながら絶賛。それが炎上。視覚人間より言語人間を信用する日本人がシャクにさわったね。そんな感情を当のホドロフスキーにぶちまける。
 彼は「あなたはあれを魂で見た。だからそれを恐れた人間は自らをブロックした。君の友人は脳で悟った。だから反応した。だけど創造は脳の作用ではない。芸術は魂から魂へ交流すべきで、言葉ではない。あれはあの時私が唯一できること全てだった」。つまり魂の奥底から奥底へ、三島由紀夫のいう交霊術的交流である。
 僕は「ホーリー・マウンテン」「ホドロフスキーのDUNE」「リアリティのダンス」と片端から見た。「それに対してなんと答えていいか分からない」と彼。芸術家は自分のやっていることがわからない。だから芸術なんだ。彼は「腎臓や肝臓と同じように作品は体の一部だ」と。そう、肉体を脳化して初めて魔術的な芸術体験が可能である。「あなたはアーティストだから私の境地を感性に翻訳してくれる」。「DUNE」の中にはダリ、ミック・ジャガー、ウォーホル、ギーガーが出てくるが、この人たちは全員僕と関わった人達で、唯一ホドロフスキーだけがまだ……。「あなたの前にいるのは正真正銘のホドロフスキーです(笑)」
 彼の映画は日本文化の伝統のカタを見ているようだ。「その通りです。沢山(たくさん)の影響を受けました」。殴るフリで相手を倒す。「ハイ、歌舞伎のパントマイムです。力を使わずに倒す気功もサイコマジックです(笑)。日本文化に触れて私は西洋の野蛮人だと思いました」。その野蛮人がニューヨークの客を手も触れずに失神させたってわけだ。
    ◇
Alejandro Jodorowsky 1929年、チリ生まれ。映画監督。芸術によって魂を解放する独自のセラピー(サイコマジック)にも取り組み、「ホドロフスキーのサイコマジック」(2019)として映画化された。