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「ショローの女」書評 孤立しつつピラミッド的安心感

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2021年08月14日
ショローの女 著者:伊藤 比呂美 出版社:中央公論新社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784120054426
発売⽇: 2021/06/22
サイズ: 20cm/250p

「ショローの女」 [著]伊藤比呂美

 「初老」を調べると、かつては四十歳の異称、女性では月経停止期、男性では作業能力が衰え始めた時から老化現象が顕著になるまでの期間。とある。現代では六十前後を指すようだが、閉経期を指す言葉、とはなんと憂鬱(ゆううつ)な言葉だろう。
 しかしエッセイ集である本書は「ショローの女」。年配でも高齢でも、初老でもなく、ショローである。確かに、著者はただの初老ではない。植物と動物に目がなく、育て方もダイナミック、好き嫌いが激しく同じものばかり食べ続け、ピアノを習いたいがどうしても練習はしたくないという子供のような好奇心と我儘(わがまま)さを持ち合わせ、人と一緒は嫌と思っていたが年の功でもういいやとなって皆と踊るズンバやLINEの「おしゅし」スタンプに夢中になり、一人が寂しいと吐露し愛犬との別れを想像して泣き、常に家族や友人や生徒への想(おも)いが漲(みなぎ)っている。しかし、生活も趣味も感情も驚くほどわちゃわちゃと忙しいのだが暑苦しさは皆無、むしろドライで、どこまでも飄々(ひょうひょう)としている。
 著者の描く「あたし」がここまであらゆるものに執着し手を出し首を突っ込み齧(かじ)ったりハマったり逡巡(しゅんじゅん)したりしながら、一人で粛々と満ち足りているように見える理由は何なのだろうと、読みながらずっと考えていた。その答えは、おそらく彼女が「言葉にしている」ことにあるのではないだろうか。
 本書には確かにリアルな老いが描かれている。体力の衰え、姿勢の変化、歩くのが遅くなり、人の目を気にしなくなり、ちょっと昔話をするだけで四十年前に遡(さかのぼ)る。しかし同時に、書き続けること表現し続けることで、孤立しながらにして巨大なピラミッドのような安心感を得、また与える境地に到達したその生き様こそが詰まっているように感じられる。無骨なのにスマート、愛の中で孤独、柔軟な一本槍(やり)、奇妙なバランスで成り立った奇跡のショローがここにある。
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いとう・ひろみ 1955年生まれ。詩人。著書に『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』『切腹考』『道行きや』など。