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綾野剛さん「牙を抜かれた男達が化粧をする時代」インタビュー 12年分の役を介して生まれた言葉

綾野剛さん

過去の僕はもう自分ではない

――本作のタイトル『牙を抜かれた男達が化粧をする時代』には、どんな思いがこめられているのでしょうか。

 このタイトルを決めた当時は「牙を抜かれた男達が化粧する時代」だと感じていました。と同時に、「どうやって牙を獲り戻した男達になるべきか」という思いは静かにあったのでしょう。それは、作品に向ける牙なのか、全く違うところに向けるのかでも変わってきますが、自分じゃ背負いきれないタイトルがちょうどいいのだろうと。

――本書には、執筆当時の自分を今の自分が振り返る「証言」が追記されていて、この時はこの作品の撮影中だったのか、ということが分かるようになっています。「自分の私生活が反映される言葉は一語一句ない」と書かれているように、この連載に綴られているのは、常に役者として生きてきた綾野さんの言葉と思いの数々ですね。

 この連載で紡いでいる言葉は、その時その時の役を介して生まれた言葉なので、正直、今の僕には手の施しようがありません。だから「証言」は憶測のような、どちらかというと解読や解説に近いんです。絵を描いた人が自分でその絵を解読するのが残酷なことのように、それに近いものがこの本にもあります。「過去の僕はもう自分ではない」という観点しかないんです。

 自分は作品の中だけでしか生きていない存在で、普段の自分というのは何も知られずに死んでいくのが本望なんです。「綾野剛って一体何者だったんだろう」と思ってもらえたらそれでいいと思っています。

ヘアメイク:石邑麻由、スタイリスト:申谷弘美、衣装:ジャケット\334,400、パンツ\239,800、(いずれもアン ドゥムルメステール)、問い合わせ先:コロネット株式会社(03-5216-6524)

――綾野さんの死生観や、「人生とは」「愛とは」などを自問自答しながら生み出された言葉なのだなと感じました。そういったものと向き合い、連載を重ねるにつれて見えてきたものや、改めて本を読み返してみて思うことは。

 当然羞恥心もありますし、12年前の僕からしたら、今の僕が今の感性で憶測を建設するのは余計なお世話なんです。これまでのものを見返していると、迷惑だという感情がビシビシ伝わって来ましたので、振り返ることは残酷な作業でした。

 それに連載読者の皆様にとっても、同じ時間を共有しながら一緒に辿っていただいたものをもう一度、強制的に12年も巻き戻し、再生するので、その振り返りを強いるというのは難儀ではあると考えます。思い出は時として美しいばかりではありませんから。

表紙は気鋭の現代アーティスト・画家である佐野凜由輔氏が担当。綾野さんの肖像画を切り取った「ZOOM『GO AYANO face』」は本書のための描き下ろし

余分のない空に魅了されていた頃

――全70回の連載中、空が写っている写真が多いのですが、ご自身ではその自覚はありましたか?

 地上って複雑ですけど、空は健全で余分なものがないから、ちょっとした憧れみたいなものがあったのでしょう。自分は余分だらけなので、そういう余分のないものに魅了されていたのかもしれません。

――そんな中で、「青い蒸発」の回の天井を撮った写真が印象的でした。「精神的にも肉体的にも以前より余裕がなくなり、あれほどよく見上げていた空も見ていない」と「証言」で書かれていますね。

 あの写真は、連載を始める前に「渋谷」という映画を撮っていた時の控え室の天井だったと思います。昔の写真を整理している最中、この写真を見つけた時、今の自分をすごく象徴しているようだった。こうやって昔の写真に今の自分の現在地を知らしめられるとは思ってもみませんでした。

――空を見ることを忘れてしまった時の息苦しさみたいなものにとても共感しました。

 現代って、「病む」ということに対して寛容ではないじゃないですか。病んでいるという印象を持たれるだけで、下手したら人間関係を失うくらいの強度がある。それは心の病であっても、処方される病気であっても、ある種の「ナルシシズム」という装置のような言葉で片付けられてしまう寛容性のなさが存在する。そこに苦しまれている方はたくさんいます。

 今はネガティブだけではありませんが、人にはポジティブじゃない時期があって、それが長引くか長引かないかは重要ではありません。その時の自分を許してくれた人たちがどれだけ周りにいたかということが大切でした。もしあの言葉と写真に少なからずそういうことを感じていただけたのであれば、「この1ページがあってよかった」と思いますし、他にも、この連載の中の言葉と写真に何かを感じた方がいてくださったなら「お役に立ってよかった」と今思います。

自分の変化を再確認する本

――最終回「memento mori」の「証言」では、亡くなられた蜷川幸雄さんのご家族から、新作舞台の台本と映画「アリラン」のDVD、そして写真家で作家の藤原新也さんによる生と死を題材にした『メメント・モリ』が入った封筒を受け取ったというエピソードが書かれています。綾野さんは『メメント・モリ』を読んでどんな感想を持ちましたか? 

 『メメント・モリ』は元々愛読していました。(藤原)新也さんの他者を撮る勇気といいますか、本当という事実を丁寧に映し出すことに強烈な印象を持ちました。正直、『メメント・モリ』を読んで分かりきれることはきっと今後もないとも思いますが、2年に一度読むだけでも見方が変わっていて、それは本が変化しているのか自分が変化しているのか。そういったことを再確認できる本だと思っています。

 直訳すれば「死を想え」という意味のタイトルですが、蜷川さんはとんでもない演出を最後に残してくださったなという思いでした。

――綾野さんが普段手に取る本はどんなジャンルの作品が多いですか?

 本というよりは脚本が多いですね。新作の脚本に触れる時間が自分にとっての最愛なので、まだ見ぬ脚本にたどり着いた時の喜びというのは、実は撮影が始まるということよりも僕にとっては偉大なんです。自分は活字を読むということをずいぶん疎かにしてきた人生だったので、意識を持って初めて活字と向き合ったのが脚本です。脚本が自分の基礎になっているし、今僕が紡いでいる言葉も、きっとその時脚本を読んで生まれた言葉だと思っているので、多大なる影響を受けています。