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「ハヨンガ」 怒りを力に変える 抗体のように 朝日新聞書評から

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2021年08月28日
ハヨンガ ハーイ、おこづかいデートしない? 著者:チョン ミギョン 出版社:アジュマ ジャンル:小説

ISBN: 9784910276007
発売⽇: 2021/06/05
サイズ: 19cm/381p

「ハヨンガ」 [著]チョン・ミギョン

 本書は盗撮動画やレイプ動画、レイプ参加者を募る掲示板を含む韓国の違法アダルトサイト「ソラネット」及び、女性の尊厳を貶(おとし)める男性たちに戦いを挑む人々のドキュメンタリー小説だ。
 インターンとして働くジスは、同僚のファヨンのセックス動画がソラネットに投稿されているのを知り、悩みながらも本人に伝えることとなる。ファヨンの世界は一瞬にして壊れ、恐怖の渦に突き落とされる。肉親に罵(ののし)られ、借金をして依頼した削除代行業者も警察も役に立たず、動画は拡散され続け、携帯番号まで流出させられてしまう。ジスの親友のヒジュンもまた、盗撮被害、そして元彼からのストーカー行為を受けていた。
 あらゆる性犯罪が描かれ、たくさんの女性を侮辱する言葉が登場する。中でも「雑巾」という言葉が象徴的だ。「あばずれ」の意で、「女性の性器がついている者は誰一人、雑巾という言葉がただちに呼び寄せる羞恥(しゅうち)心から逃れられない」とあるが、最初はうまく摑(つか)めなかったそのニュアンスが読み進めるうち生々しさを増し、目にするたび痛みを感じるようになる。言葉が呪いのようであるのは、それが深い共通認識だからなのだ。
 「メドゥーサ」というサイトでサイバー自警団活動を始めたジスだったが、ソラネットのモニタリングは想像を絶する苦しさと隣り合わせだった。しかしある日、ソラネットの掲示板に一斉投稿し、システムを麻痺(まひ)させようという計画が持ち上がる。決行の時、女性を侮辱するための投稿が連なる掲示板は、見る見る間に女性たちの怒りの言葉や男性嫌悪的な「チャルバン(面白い写真や動画)」で埋め尽くされていく。小さな成功体験が、ジスや、一緒に投稿した人々の力となった瞬間だった。
 この話をノンフィクションとして読んでいたら、耐え難き蟠(わだかま)りと憤りが残り続けたかもしれない。しかし著者は小説という形をとることによって「隣人の悲惨な事件」ではなく、「私たちの重大な体験」として提示してくれた。
 著者あとがきには、執筆前「女性として私が感じた侮辱を世間に広めることが作家の役割なのだろうか」と迷いを抱いたと吐露しているが、物語として編み直されたことで透過性を増し、人々の中に溶け込み、そこで抗体となり己の力を強化してくれているのを私は実感している。共通認識であるからこそ、言葉は毒にも薬にもなり、卑劣な武器にも尊い武器にもなり得るのだ。小説でしか実現し得ない形でつまびらかに描き出された、恐怖に直面した女性たちの胸に渦巻く怒り、悲しみ、奮起の言葉は、あらゆる虐げられた人々の血肉となり、不当に奪われたものを取り戻す力となるだろう。
    ◇
Jung Mikyung  1973年生まれ。「フェミニストジャーナル イフ」編集長を経て、作家。長編『大雨』で世界文学賞優秀賞。『根のないフェミニズム フェミサイドに立ち向かったメガリアたち』を刊行予定。