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「マン・レイと女性たち」書評 絵画が本領 主題・様式から自由

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月28日
マン・レイと女性たち 著者:巖谷 國士 出版社:平凡社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784582207224
発売⽇: 2021/07/16
サイズ: 22cm/271p

「マン・レイと女性たち」 [著]巖谷國士

 僕がマン・レイに興味を持ったのは彼を有名にした写真ではなく、彼の絵画作品だった。空に浮かぶ巨大な唇、路地の荷車、サド侯爵の肖像、海岸のビリヤード、他にも何点も描かれている女性の肖像画など、不統一な様式と不可解で謎めいた主題。
 ところが、マン・レイの絵画は何故か評価が低い。主題や様式の統一性から解放されている故にダダやシュルレアリスムの精神を宿している。マン・レイの、空を圧倒する巨大で真っ赤な唇を見た人は忘れられないはずだ。「天文台の時刻に――恋人たち」と題するこの絵画は20世紀の美術史の中で燦然(さんぜん)と輝く傑作である。にもかかわらずマン・レイの絵画を認めようとしなかった評者の罪は大きいと思う。世界的評価を得たマン・レイの写真を認めることで、彼の絵画の評価を不当にすり替えているように思うが、その背景にジェラシーが存在しているように思えてならない。
 彼は自分の本領は画家であると常に主張し続けてきた。彼の絵画の魅力は時代の潮流と無関係であるが、彼はそうした風説を批判するかのように「上天気」と題する作品では、あらゆる様式を導入していると皮肉を交えた発言をしている。
 ひとつの主題と様式にとらわれない彼の解放感は、彼の前に現れる、タイプの異なる魅惑的な女性との恋愛体験にも似ており、彼女たちをモデルにした数多いドローイングや油彩画は、どこかはかない美しさを残した青春の象徴である。特にドローイングの線描は白い空間の中で、不思議な透明感を呼吸している。
 また、マン・レイのオブジェ作品も女性との性愛を暗示するようで、従来の彫刻の概念で語れない物語性に、無意識的に彼の絵画を連想してしまうのだが、当のマン・レイはこのことに気づいているのだろうか。本書の図像と合わせてマン・レイの伝記的な側面を文章でぜひ味わっていただきたい。
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いわや・くにお 1943年生まれ。仏文学者、批評家。『シュルレアリスムとは何か』。本書は同名展覧会の図録。