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「人生ミスっても自殺しないで、旅」諸隈元さんインタビュー 「死にたくない」に気づいて一変した日常

「自殺できるし」より「旅に出れるし」

――本を書くことになったのはあるツイートがきっかけだったそうですね。

 ある時「人生ミスったら自殺できるし、と考えることで生きるのが楽になった」というツイートが流れてきたのを見て、とっさに『「ミスったら自殺できるし」よりも「旅に出れるし」のが良いと思う』とつぶやいたんです。

 そうしたら、それがバズってしまって、編集者の目に止まり、この経験をテーマに本を書こうという話になりました。

――『人生ミスっても自殺しないで、旅』というタイトルが強く印象に残ります。

 最初のタイトル案は『人生ミスっても自殺しないですむ方法』でした。内容も「プロレス」「ピザ」「ラーメン二郎」など僕の他の趣味を含めたもので、旅の話はそのうち1章だけ。でも、進めるうちにこのテーマなら旅に特化した方がいいんじゃないかという話になり、自然とこうなっていきました。

――「自殺」という言葉には、やはりドキッとしますね。

 「旅」「自殺」という単語を入れることには少し葛藤もありました。コロナ禍の今は旅に行けないですし、自殺も増えています。読んでもらえるとわかりますが、僕は当時も今も実家で暮らしていて、経済的にはそこまで苦労していないんですよ。明日食べるものがなくて自殺しかないと考えている人からしてみれば、ぬるいと思います。そんな自分が「自殺より旅したほうがいいぜ」って、何言ってんだと非難されるのではないかと思っていました。

 ただ、7年かけた小説が評価されず、30過ぎて職歴もスキルも何もない状態が不安で、真剣に「人生ミスった」と感じていたのは事実ですし、正論が似合う聖人君子でもないですからね。タイトルを褒めてもらうことも多いので、結果的にはよかったと感じています。

『論理哲学論考』を7年かけて小説に

――諸隈さんは哲学者のヴィトゲンシュタインマニアで、今回の旅でもヴィトゲンシュタインゆかりの地をめぐっています。そもそも、好きになったきっかけは?

 大学で受けた一般教養の哲学の講義です。主役がヴィトゲンシュタインでした。永井均先生の『ウィトゲンシュタイン入門』を教科書にして学んだのが出合いです。

 最初に読んだ時は「なんだこれ?」という感じでしたね。入門書なのに全然意味がわからない。思想的なところは難解でほとんど理解できませんでした。ただ、本の3分の1は彼の人生を書いた伝記になっていて、そこがめちゃくちゃ面白かったんです。だからキャラクターに惹かれて、解説書や伝記本を買い集めていました。主著の『論理哲学論考』は持ってはいたものの、ちゃんと読んではいなかったと思います。

――引きこもって書いた小説はヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を下敷きにした作品でした。

 そうですね。小説家になりたいと思った大学4年生の頃から、思想も含めて入れ込むようになりました。その頃はじめて書いた小説が何の賞にも引っかからなかったので、「自由に書いて認められる才能がないならしっかり資料を調べて、緻密に組み立てた完璧な作品を書こう」と思ったんですよ。それで飛びついたのが『論理哲学論考』です。今なら少しは内容も理解できるし、これを小説にしたらいいんじゃないかと。

 それからは、全526節からなる『論理哲学論考』を、各節の内容や文字量まで揃えながら小説に落とし込んで。加えて、尊敬する大江健三郎先生の『個人的な体験』も下書きにして、二つを結びつけて書いていました。

――ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』に着手したのが20代の前半とか。

 そう。で、僕がこの小説を書き始めたのも23歳。「あれ、これって符合してない?」と思いました。それなら、彼が書き上げた30歳を小説の締め切りにしようと。そしたら逆に時間が余って、だらだらしちゃって……。でもヴィトゲンシュタインだって「私はだらだらするのが好きだ。今は以前ほど好きではないが」と昔をふりかえって言ってますから!。

 予定通り30歳までに書き上げて「新潮」という文芸誌の新人賞に応募しましたが、結果は落選。2次選考は通ったみたいで一定の満足感はあったものの、落選に変わりはないので、そこで人生ミスったことが確定したんですよね。それで自殺する前に全財産で旅に出ることにしました。

旅で起きた「アスペクト」の転換

――旅の予定はどう決めたのでしょう?

 旅に出るならヴィトゲンシュタインのゆかりの地をめぐろうと。それ以外には考えていませんでしたね。

――最初に訪れたイギリスでは、2日連続でサッカーのヨーロッパチャンピオンズリーグを観戦しています。

 ね、狙って日程を組んだわけではありませんよ。ヨーロッパへ行くと決めたあとで試合があるのを知って、慌ててチケット取ったんだと思います。その点は弁明しておきます。ただ、その時はヴィトゲンシュタインや自殺のことはどうでもよかったです(笑)

――道中では、食事やホテルのバスタブへの強いこだわりも見られました。

 当時は週に3回魚を食べないと、毎日40分の半身浴をしないと死ぬと思っていました。強迫観念みたいなものですね。魚でいい油をとって血液をサラサラにしていないといけない、バスタブに40分浸かって汗腺を発達させて、いい汗をかいて毒素を流さないといけない。そのルーティンをヨーロッパでもやらないといけないという。

 でも、ヨーロッパでは「バスルームあります」と書いてあってもシャワーだけのことを指すから、「バスタブはあるか」と確認しないといけないんです。それがわかっていなくて何度もミスりました。ブルガリアでは日本とイエス・ノーのジェスチャーが逆で、レストランで魚を揚げるか聞かれて反射的に首を横に振ったらフライが出てきて苦しんだことも。実は揚げ物が大の苦手なんですよ。

――「死にたい」という気持ちはなくなりましたか?

 ……こういう細かなことにこだわっていたことを考えると、「死にたい」とは思っていたけど自殺する気はなかったんだと思います。帰りの航空券も持っていましたし。ただ、はじめての一人での海外旅行で、治安が悪いと言われている国にも行く中で、万が一命に危険が及ぶようなことがあれば、恐怖を感じずに逝けるんじゃないかとは思っていました。

 実際には、ルーマニアで野良犬に追いかけられて必死に逃げることになりました。噛まれたら狂犬病でうまく死ねたかもしれないのに全力で逃げてるから、だんだん「死にたくないんだろうな」と気づいていきました。

――どちらかというと生きたいと思っている自分に気づいたのでしょうか。

 「死にたいという言葉は生きたいの裏返し」と聞いたことがあります。自殺の専門家ではないから正確なところはわからないし、必ずしも全員に当てはまるわけではないと思いますが、僕の場合はまさにそうでした。

 薄々分かっていた「死にたくない」に気づく旅だったと言えるのかもしれません。旅に出た時はそれで何かが変わるとは考えていなかったと思います。日常生活がどんなに苦しくても、旅に出て非日常に触れたらその瞬間は楽しいじゃないですか。それで戻ってきて、つらくなったらその時にまた考えればいいくらいに思っていました。

――その後の人生に、変化はありましたか?

 僕は旅から戻ってきたら日常が変わって見えたんですよ。旅先で意思疎通ができなかったり、お金が尽きて野宿するような経験をしたおかげで、普通に食べられるご飯がうまく、バイトで好きなことに使えるお金をある程度もらえる日本の生活が変わって見えました。

 この見方が変わるというのは、ヴィトゲンシュタインが後半生の代表作『哲学探究』で取り組んだ「アスペクト」の問題とも重なってきます。一つの絵が、見方によってアヒルにもウサギにも見えるというやつです。ヴィトゲンシュタインはアヒルじゃなくてカモとして見てたんじゃないかって説もあって、だから僕にはカモにも見えますが。

 とにかく自殺したら、何もかも終わっちゃうじゃないですか。その前に一瞬でも延期して別のことをしてみれば、何かが変わるのかもしれません。旅に限らず、色々なやり方があると思います。

年を取って軽薄に、ザラザラに

――この本を書くうえで、改めて旅を振り返ってみてどうでしたか。

 やっぱり当時は若かったというか、世間知らずでしたね。旅先での文化の違いがわからない以上に、そもそも社会に出て人と接する経験が少なかったと思います。だからなのか、この本の文章も「幼稚で軽薄だ」と言われるんですよ。まあ、文章は今書いたものなので、それは僕が人間的に成長していないってことなんですけど。

 むしろ30歳の当時書いた方が、真面目な文章になったかもしれないですね。旅から帰ってきた僕は開き直っちゃって自殺を考えなくなったので、よけいに軽薄さが前面に出てきた気がします。ちなみにヴィトゲンシュタインが最後に自殺の気配を感じさせたのは31歳の頃です。

 文章は年々軽薄になっている気がしますね。旅から戻ってきて2014年に文學界新人賞をいただいたのですが、その時の作品を読み返しても「なんかエラそうだな、よくこんなの書いたなー」って思いますし。

――諸隈さんがご自身とたびたび重ねているヴィトゲンシュタインは、前半生の代表作『論理哲学論考』では自分ひとりの完璧な理論を作り上げていましたが、後年の『哲学探究』では他者の存在が前提のものに変化しています。こうした変化は、どの程度意識していたのでしょうか。

 ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を氷の世界に喩え、摩擦や抵抗のないその世界は独りで考えに耽るには理想的だけど、ツルツル足が滑って前に進むことはできないと書いています。そして他者との関係ありきの「ザラザラした大地へ戻れ!」と『哲学探究』で叫ぶんです。

 彼はお金持ちのボンボンで、何不自由なく生活も勉強もできて、思い通りの人生を歩める人間でした。そしてそこで『論理哲学論考』という完璧な世界を構築した。でも、それから小学校教師や建築家として人と関わる中で妥協を知っていくんです。その過程では扉の鍵穴の位置を1ミリ直したり、完成後に部屋の天井を3センチ高くしたり、好き放題やってますけど。

――旅の道程では、諸隈さんが道を尋ねた老夫婦に「エンジョイ」と声をかけられたり、冷たい対応が多かったドイツでトルコ人の方が「普通」に接してくれたことをうれしいと感じたり、素朴なコミュニケーションの描写が印象に残りました。

 僕自身、旅の最中はツルツルの世界に生きていたと思います。そして確かにこの旅でザラザラの世界に足を踏み入れましたが、それは書いている最中に気づいたことで、後付けですね。

 ツルツルからザラザラへ。広く考えれば、人間ってみんなそういう感じだと思います。さらに言えば、僕はヴィトゲンシュタインがそういう道筋をたどったのは、単に年を取ったからじゃないかと思ってるんですよ。若い頃は理想に突っ走って完璧な世界を構築したがるけど、だんだん自分の思い通りにいかないことがわかってくる。

 僕も小説だけを書いていられる温室でずっと過ごしていて、頭の中で氷の世界を構築して、それが崩れ去れば死ぬしかないって考えていましたが、現実を知って、しだいにテキトーになったというか。そうやってザラザラの世界に舵を切ることは、生きていれば普通の、ありふれた現象じゃないかと思うんですよね。