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朝倉宏景さんに小説を書かせた筒井康隆さんの短編「走る取的」

「走る取的」が収録された『懲戒の部屋』(新潮文庫)

 取的(とりてき)とは耳になじみのない言葉だが、幕下以下、とくに序二段や序ノ口の力士をさすことが多いという。

 さっそく、短編ホラー「走る取的」のあらすじを紹介すると、バーで友人の亀井と飲んでいた「おれ」は、そこに居あわせた客の「取的」から向けられる粘着質な視線に気がつく。相手の取的は赤の他人であり、バーの常連なのか一見客なのかもわからない。しかし、にらまれる理由には思い当たることがあった。

「おれ」と亀井が、しばらく会っていない同窓生の噂をして、「最近肥りはじめているよ。相撲とりみたいになってる」と豪快に笑ったのがきっかけだったらしい。どうやら自分のことを笑われていると勘違いしたようで、バーのカウンター席に座る取的は、死んだ魚のような目でじっとテーブル席の「おれ」たちをにらみつけてくる。取的は髷を結い、春先に薄い浴衣一枚で、足元は裸足に草履。どうやら力士としての位は低いらしい。「おれ」は、亀井が空手二段なので気が大きくなり、取的をにらみ返す。たかが「褌かつぎ」だと聞こえよがしに馬鹿にするのだが、亀井だけはなぜか怯えきっている様子。亀井いわく、相撲とりは格闘技界最強であり、「奴らにとっちゃ、だいたい空手なんてものは、ほんのちょいとした小手先の技術にしか過ぎない」のだという。二人は急いでバーを出るが、なんとその取的が走って追いかけてくるではないか。百キロをゆうに超す巨漢にもかかわらず、ものすごく速い。とんでもない走力である。

 そこから、二人は取的に約四時間、夜の街を追いかけまわされる。そして、とうとう追いつめられ、素手でひねり殺される。おしまい。

「なんじゃそりゃ」と思った、そこのあなた。私も高校生のときに、現代文の授業でこの短篇を読み、「なんじゃそりゃ」と思った。

 しかし、怖いのである。とんでもなく、怖い。作中に出てくる取的はまったくセリフがない。ただただ、「おれ」を無言でにらみつけ、巨漢を揺さぶり執拗に追いかけ、「おれ」たちが謝罪しても完全無視し、最後もなぜそこまでするのか説明することなく二人を瞬殺する。「約四時間」と書いたが、そのうちの二時間、「おれ」たちは別の店に逃げこんでいる。取的が入れないような、なじみの高級クラブに走って飛びこんで、一時は難を逃れる。さすがに、これだけ時間がたてばあきらめているだろうと思いきや、取的は二人が消えたあたりでしつこく見張っていたらしく、またしても全速力で追いすがる。まるで、読んでいるこちらにまで取的の荒い息づかいが迫ってくるような描写がおそろしい。

 殺されるオチまで書いてしまったが、むしろ最初から死亡フラグは立っているように思われるし、この小説の恐怖はたとえラストを知ったところでちっとも削がれないだろう。プロレスラーでもボクサーでも、マフィアや殺し屋でもなく、力士の全力疾走に自分も追いつめられるような気分を味わうことで、何か根源的な畏怖の感情が揺さぶられる。理性も、言葉も通用しない。勘違いが発端という、どう考えても理不尽な状況なのに、その一方で、力が強い者が勝ち、弱い存在がひねり殺されるのが自然界では当たり前という、なんとも単純な世界が展開される。

 ものすごくシンプルで短い話なのに、こんなにも怖くて、面白い。小説というのは、とんでもないパワーを秘めていると、高校生のとき思った。これほど単純な話なら、俺でも書けるんじゃないか(大巨匠・筒井康隆氏には失礼だが、高校生当時のことなのでお許しください)、じゃあ小説というものを書いてみようと思ってしまったのが、運の尽きである。

 そこから約二十年。ストーリーをシンプルにすればテンポは増すが、研ぎ澄まされた技術が必要であることを知る。かといって、話を複雑にすれば小説全体の切れ味が鈍ることが多い。書いても書いても、悩んでも悩んでも、答えは出ない。自分が追いかけているつもりが、逆に「小説」という巨大な得体の知れないものに、追いかけられ、のしかかられ、私は圧死寸前である。