旅の記憶通じ、向き合った生死
中国大陸を西へ、日産のブルーバードがひた走る。アメリカ生まれの日本文学作家は友人の車に乗り、ガイドブック片手にチベット高原の有名無名の寺院へ。その過程で、異質な言葉に出会い続ける。
リービさんは日本に移住後、旅を繰り返しながら小説を書いてきた。中国内陸部への旅は『天安門』(1996年)などに、幼少期を過ごした台湾への訪問は『模範郷』(2016年)に。そして今回は「東アジアの西の果て」というチベットへ。
「20年ほど通い続けた中国が近代化して興奮できなくなって、もっと奥に進みたくなった。チベットは高度な文字を作りあげて仏典に使ったり、詩を書いたりしたのに、源氏物語や紅楼夢のような小説を生み出さなかった。そんな文化の中で小説を書くというのは究極の矛盾であり、チャレンジだと思ったんです」
小説に現れるチベット文字は確かに芸術的だ。主人公はガイドブックに例示された真言の文字列をローマ字読みを頼りに口に出す。「オムマニペメフム」。続いて英訳を日本語に直訳し、また口に。「蓮華(れんげ)に入った宝石、敬礼!」。視覚と聴覚の刺激が異文化への扉を開く様子は、最初の小説「星条旗の聞こえない部屋」で日本のかな文字を一文字ずつ追っていた描写に通じる。
「確かに一直線につながってますね。ただ、今回はもう一つ、死というテーマが強くある」
チベットを初めて訪れたのは、現在70歳のリービさんが還暦を迎えたころ。ほどなくして、アメリカに住む母親が亡くなった。
「日本や中国以上に生死というミステリーを考え続けたのがチベットの文化。当時母の死が納得できなくて、死のわからなさを追究するかのように、何度も通うことになった」
主人公は観光客と、真言を唱えながら祈祷(きとう)の輪・マニ車を回す。現地で買い求めた唐か(たんか)(仏画の掛け軸)の観音菩薩(ぼさつ)を薄暗い新宿の部屋で眺める。官能的ともいえる体験を経るたび、母親の思い出にとらわれた主人公の精神は揺らいでいく。
「おかしくなったのは実体験なんだけど、読み返してみて、よくあんな描写ができたなと。コロナ禍で旅ができないせいか、小さい頃からの記憶が嫌になるくらいよみがえってきたんです。移動して帰ってきてすぐ書くのも文学だけど、何十年か経った記憶から書くのも文学。動かなくても記憶を書くことで立ち直れた。貴重な経験でした」(野波健祐)=朝日新聞2021年10月27日掲載