「ポチッ」とCO2を回収
――現役の東大生にして、化学者・発明家、社会起業家の肩書も持つ村木さん。その代名詞とも言えるのが、高校2年生の時に研究・開発したCO2回収装置「ひやっしー」です。
「ひやっしー」は今、個人のお客さんから大企業のオフィスまでいろんなところに使われているんですけど、皆さんに共通しているのが、「二酸化炭素の意識が変わった」という感想です。「ひやっしー」は、ボタンをポチッと押すだけで、温暖化を止められるアクションに参加できる唯一の手段です。CO2の回収量が見えるし、部屋の中のCO2の濃さも見える。見えないものが「見える化」され、「自分たちもちゃんと温暖化抑止に参加できている」「まだまだ自分たちにも地球にできることがある」って希望が持てた。そんな声をかけて下さいます。
――「ひやっしー」の画期的なところは、CO2を集めるだけにとどまらず、そこから燃料(そらりん)を作って、車や船を走らせたり、物によっては飛行機まで飛ばせたりできるところですね。
「そらりん計画」は、今年11月にいよいよやっていきます。船とか車を走らせて、「陸海空すべての貨物運送業」を僕らはやっていこうと思っています。「そらりん急便」っていう名前で、たとえば千葉の勝浦と、伊豆諸島とを、即日配達で結べるような貨物便の運航を考えています。
化学者、そして冒険家として
――そのための第一歩として、9月末に「第五金海丸」という船を手に入れて日本半周の船旅を成し遂げられました。航海中、どんなことを考えていたのですか。
7月末、新潟の海に初めて出た時、自分の世界が広がっていく感覚を覚えました。操舵室の視界はすごく狭いんですけど、視界以上に開けていく感覚というか。陸地とは逆の方向に、何もない、ただ真っ青な、青色に包まれた世界に進んでいくんです。その時、化学者・発明家としてだけでなく、「冒険家」としての幕開けを感じました。
――千葉・勝浦のゴールまでの航海はいかがでしたか。
初日から緊急事態に遭遇してしまったんです。山形で、クラッチの系統が壊れて、船が陸に激突してしまいました。津軽海峡では、エンジンが故障して黒煙が吹き出したり、八戸では大荒れで転覆しそうになったり。そのたび、「絶対自分は生きて帰るんだ」って言い聞かせました。クルーの命を預かる「船長」としての覚悟も感じました。航海を終え、ひとりの「海の男」に少しはなれたかな。
――クルーの皆さんとは、どんな言葉を掛け合っていたのですか。
船が波にもまれてモミクチャにされていた時は、皆で敢えて冗談を飛ばし合っていました。緊急の事態に遭遇した時、「どうしよう」と深刻に考え過ぎると、良いアイディアが何も生まれてこないんです。あとは「船上カラオケ」。「アナと雪の女王」の25カ国バージョンを歌えるので、それを歌ったり。
――すごい! 日本半周の「before」と「After」で、感覚や、考え方は変わりましたか。
180度大きく変わりました。どんな緊急の事態が起きようが、どんなところに連れて行かれようが、自分は何も動じないだろうって感覚になりました。怖いことに対して冷静に対処できる力がついたかな、って思いました。
あとは、一緒に乗り込んだ研究員との団結力がすさまじく上がった。一緒に生死を共にした仲間なので、ただの同僚とか社員という関係じゃなくなりました。ともに困難を乗り越えた仲間という意識が生まれたかなと思います。
――それは大きな収穫でしたね。今回の航海の成功を経て、今後の村木さんの活動の方向性、課題について展望を教えてください。
海運部門の目標は、CO2をゼロにするだけではなく、海にまつわる問題……たとえば離島の人口減少、海面上昇で離島の人の生活が脅かされていることなど、海や島に関わるすべてをやっていく予定です。ただ単に「冒険を成功させた」だけではなくて、そうしたことを事業化し、研究をもとにしたビジネス化を進めていきたいなと思います。
さらに、火星を目指すために「成層圏探査機もくもく計画」に注力していきます。既に機体も作り始めていて、11月以降に無人機と僕を打ち上げるので、突っ走っていこうと思っています。
最高の研究を、最高の仲間と
――村木さんが「火星に住みたい!」と思ったきっかけは、小学4年生の時におじい様からもらった物理学者のスティーヴン・ホーキング博士の冒険小説『宇宙への秘密の鍵』だそうですね。人類が移住できる可能性が最も高いと紹介されていた火星にいつか自分も行こうと決意して、研究のためにCRRA(シーラ:一般社団法人炭素回収技術研究機構)を設立。現在は産学界で数々の肩書きを持っていますが、とりわけ有意義なポジションとは。
まず、僕の何よりのアイデンティティは、「CRRAの機構長である」ってことです。2017年10月5日に僕が決めて、ロゴを考えて、当時の実家の部屋の壁にパンと張り出したのが始まりです。法人にしたのはまだ1年半くらいですけど、僕は世界で一番の、NASAやJAXAすらも超えちゃうような最高の独立系研究機関にしていくぞって決めた。「CRRA、イコール自分」なんです。最初、名乗り始めた頃は高校生だったし、「何を大げさな」って馬鹿にされたこともあったんですけど、ずっと耐え抜いて4年間やり抜いてきた。今、研究員は16人。19歳から68歳まで、最高の研究を、最高の仲間と、地球を守り火星を拓くことができている。僕の最高の誇りです。
――研究の幅が広がるにつれ、いろんな方々と出会ったのでは。
僕の人生を変えてくれた人って、小学校の恩師からたくさんいるんですけど、俳優の菅田将暉さんは、僕をまた更に一回り変えてくれたんです。何度かお会いし、仲良くさせていただいています。番組共演がきっかけだったんですけど、僕の可能性を何一つ疑わずに「風海なら、描いている世界を絶対実現できるぞ」って言ってくれた。
僕は「二酸化炭素から服を合成する」とか、いろんなことをやっていこうとしているんですけど、「一緒にやろう」って言ってくれて、周りの仲間を巻き込んで実際にプロジェクトが動き始めています。僕の目をまっすぐ見て、無邪気に僕のやろうしている世界を受け入れ、信じてくれる。すごく心強いし、嬉しいです。僕も、一見自分には理解できないことを言っているような、次の世代がいたとしたら、しっかり面と向かって目を見て、まっすぐ向き合って、その子の可能性を1ミリも疑わないで100%信じて応援してあげられる人になりたいなあと思っています。
「ゆるふわ本」を開拓したい
――本では今、地球で何が問題か、どうすれば解決に繋がるのか、小学生も読み進められるような平易でユーモラスな言葉で、絵とともに綴られています。こうした構成にしようと思った理由は。
僕は元々、根っからの「文系」で、科学に興味はあっても、科学の道に進むこと自体すごくハードルが高かった。「科学が嫌い、わからない」と思う人は、科学者っていうと、「わ、専門用語をめっちゃ並び立てて、高速で早口でまくしたてる人」みたいな、ちょっと偏見があるじゃないですか。そうやって心のシャッターを下ろされちゃうと、どんなに「新発見です!」と言ったところで、聞いてもらえない。この「文系」と「理系」の間にそびえ立つ壁を開いてもらうためにも、なるべく、専門用語を使わないスタイルで、科学の魔法とか楽しさが、ぱあって、お砂糖があったかいコーヒーにサーッと溶けるように、心に染み渡るような本が必要なんじゃないかなあ、って思って。
――素敵な表現ですね。
ありがとうございます。僕、もともと文章を書くのが大好きで、小学校1年生の頃からずっと自分で小説を書いたりしていたので、本を出すのは悲願だったんです。僕が研究を始めた頃の、小学校4年生ぐらいの子が、おじいちゃんからプレゼントされたりして手に取っても、スッと読めるような本にしようって思いました。執筆依頼を受けてからは、手が止まらなかったです。祖父の誕生日が9月13日で、何とか間に合わせたかったんです。闘病中で、80歳の記念でしたので。その日に僕がプレゼントして、本をくれた祖父に恩返ししたかったんです。
――新たな執筆の計画はありますか?
すぐにでも2冊目を書きたいなと思っています。今回、日本半周冒険しただけでも、本が1冊で収まらないほどの事態を経験しました。「大学生が自分で操縦して日本半周してみた」、じゃないですけど、ユルい感じで書きたい。今度はちょっと小説っぽい形式で、読んでいる人がハラハラドキドキするように書いてみたいです。
あとは、「成層圏探査機もくもく」で宇宙の入り口に行ってくるので、その体験は本に絶対書こうと思っています。科学を「ゆるっと、ふわっと語る」。新しい本のジャンル「ゆるふわ本」を開拓していきたい。勉強にもなるけど、めちゃくちゃ面白くて一瞬で読めちゃう。心に溶けちゃう。そんな本をどんどん出したいです。
今回の本も、1ページ目さえ開けていただければ、もう後はスッと、皆さんの心の中に入り込む自信があるので、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいなと思います。
人類初の火星人を目指して
――それこそコーヒーに溶ける砂糖のように。若い世代にいっそう大きく反響が広がりそうですね。
僕らの世代にとっては、「未来のために地球を守ろう」みたいな台詞がつかないんです。「未来のために」とは思っていなくて、「今のために」。「子や孫に素晴らしい地球を残そうじゃないか」っていう話は、もうないんです。自分ごとにしか思えない。自分の命がかかっている。「やらなきゃ自分が死ぬ」「生きるか死ぬか」みたいな問題になっています。
僕らの同世代は、たぶん全員が「本当に何とかしなきゃいかん」っていう認識を持っているんじゃないかな。そういう意味で、この時代に、特に同世代の人に僕の本を手に取っていただけるっていうことは、「何とかしなきゃいかん」と思っていながら、どうすれば良いかわからなかった、声を上げてこなかったサイレントマジョリティーたちを動かすきっかけになってくると思います。
――「何とかしなきゃ」って思い、村木さんご自身の研究へのモチベーションにも繋がっているのですね。
はい。ただ、僕の場合は、科学が大好きでしょうがなくて、「趣味で地球を救っている」ので。使命感があるのももちろんですが、大好きでしょうがない。「地球のために」と思い過ぎちゃうのではなく、貫いてきたなと思っています。「地球温暖化を止めて地球上の77億人全員を救い、火星移住も実現して、人類で初の火星人になる」。それが僕の夢です。夢を叶えるべくCRRAで研究を行っていきます。