トルーマン・カポーティら米国文学史を彩る作家たちと交流した「異色の作家」ジュリアン・バトラー。その生涯をたどる作品だ。
女装したジュリアンはスキャンダルを起こしながら、名作を多く残している。同性同士の性交が犯罪とされていた1954年刊行の『ネオ・サテュリコン』は、クィア文学の先がけだ。ディオールのドレスで女装した主人公は、ウラディミール・ホロヴィッツのコンサート中にパートナーと交わる。雑誌掲載されると、批判が嵐のように巻き起こった。
これほどの作家なのに日本では1文字も紹介されてこなかった。なぜなら、実在しないからだ。
架空の作家を創造した原点は、15歳のころにさかのぼる。米国の作家ゴア・ヴィダルにはまった。枕草子や孔子にまで至る教養の深さにひかれ、原書を買いあさった。海外文学には小学3年生のころに出合っていた。父親に強制的に読まされたのがヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。「ろくでもないだろう」と思っていたらびっくりした。強権的な親や学校に異議を唱えていて、男性同士のキスシーンも描かれていた。
なかでもヴィダルは特別だった。会いたい一心で、亡くなる前年の2011年、インタビューにこぎ着けた。「公的なイメージとは違う人。取材中にマッカランを2本もあけた」。本作に取りかかったのはその直前。「小説を書き、弟子としてヴィダルを乗り越えよう」と思った。ヴィダル像も織り込んだジュリアン・バトラーがこうして生まれた。
完成まで10年。ジュリアンの作中作は、本物の小説として公表できるくらい作り込んだ。女装したり恋愛におぼれたりといった自身の経験も登場人物の造形に加えている。ただし、かなり抑制的に。「うそと真実の関係は、これからも追究したい」(文・写真 高津祐典)=朝日新聞2021年11月13日掲載