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小野寺史宜さん「とにもかくにもごはん」インタビュー 「書きたいのは人のありよう」

小説について語りだすと止まらない。「ふだんは無口なんですよ」

小説で解決策は示さない

――『とにもかくにもごはん』は、亡き夫との思い出をきっかけに松井波子が始めた「クロード子ども食堂」を舞台にした群像劇です。なぜ子ども食堂をテーマに選ばれたのでしょうか。

 僕自身もともと子ども食堂に興味があって、いつか小説で取り上げてもいいなと考えていました。そんな時に講談社の編集者さんから、子ども食堂で新作をどうですかとお話が来たので、すんなりと決まった感じです。

 子ども食堂に興味をもった最初のきっかけは、新聞記事でした。食堂という言葉のイメージから毎日やっているものかと勘違いしましたが、調べてみると開催は月に2回くらいが多く、イベントに近い感覚です。開催場所にも決まりはなくて、公民館やお寺、それこそ本作のようにカフェを使ってもいい。僕はやっぱり街とか場所が好きで、子ども食堂という場にも魅力を感じました。

――執筆にあたり子ども食堂の取材はされたのですか?

 今回は取材を一切していません。というのも作中でも説明したように、子ども食堂自体が過渡期で、これが正しい形というのがまだない。そんな状況でなまじ取材をしてしまうと、取材先がモデルになってしまうし、子どもや親御さんのことなど、デリケートな問題もかかわってくる。むしろ取材をすべきではないし、書く時に縛られたくないという気持ちがありました。だからといってあまり的はずれになってもいけないので、子ども食堂に関する本を読み、参考文献として挙げています。

――温かいごはんを食べられていない子どもが、近所で暮らしている。夫の隆大から聞かされた少年・エイシンくんの存在が、後に波子が子ども食堂を始めるきっかけにも繋がっています。すれ違っていた夫婦の関係は、その時に交わした会話から徐々に上向いたものの、直後に隆大は事故死してしまう。

 とはいえ波子は隆大の死後、夫の残した言葉があったからとか、悲しみを紛らわすためといった理由ですぐに子ども食堂を始めたわけではないですよね。実際に動くまで、7年の間がある。この時間が重要です。波子の中でいろいろ落ち着いて、考えもあちこち移っていったでしょうし。ある日ふと閉店したカフェの看板をみて、やってみようかと思い立つタイミングがあったけれど、もしかしたらやらなかったかもしれない。そのくらいの感じは残しておきたいと思いました。

――作中でも紹介されていますが、今の日本では子どもの6人に1人が貧困状態にあるという、衝撃的な数字が出ています。こうした現実をフィクションに落とし込む時に意識したことや、気をつけたことはありますか?

 この問題に関しては全くの素人ですし、解決策を示したりはしないよう心がけました。それは波子も同じで、彼女は子どもの貧困を解決しようとしてやっているわけではない。とにもかくにもごはんと、クロード子ども食堂を訪れた人に温かいごはんを提供するだけです。そもそも小説は自分の意見を述べる場ではないし、僕が書きたいのは人のありようというか、今ある姿なので、変に観念的にはならないよう気をつけました。

小野寺史宜さん

複数の視点でリレー的に描く

――主催者で40代の波子や、利用者の小学生、ボランティアとして運営を手伝う大学生、仕事をリタイアした老人など、物語にはさまざまな年齢の人が登場します。

 子ども食堂だからといって子どもだけを描くのではなく、いろいろな世代の人を出したいなと思いました。子どもは小学生から波子の息子・航大のような高校生までいるし、大人も働き世代から高齢の人までと幅広い。ある場所を書く時に老若男女を登場させるというのは、僕が好んで使う手法です。『ライフ』という作品では、10歳に満たない一桁代の子から10代、20代……そして70代までと、各世代の人を出して主人公と接触させました。今回はそこまで厳密ではないですけど、限られた年代の人だけにならないよう意識しています。

――物語をいろどる登場人物はどのように生まれたのでしょうか。

 最初に考えたのは子ども食堂を始める人です。やっぱり女性だろうと、波子を設定しました。そこから利用者の子どもは2人で男女かなと牧斗や千亜を、ボランティアでは就活狙いの大学生を一人入れようと凪穂を、高齢世代では娘から絶縁されてしまったおじいさんの宮本さんを、子どもの親世代も出したいので牧斗のお母さんでシングルマザーの貴紗を……と、キャラクターが次々と出来上がっていきました。

――本作は構成も凝っていて、午後4時か8時まで30分刻みで語り手が入れ替わりながら進みます。

 僕は基本的に一人称で小説を書きますが、子ども食堂という場所でたくさんの人を見せたいと考えた時に、一人の視点だけで描ききるのは面白くないと思った。そこで、これまでの作品でもたびたびやっている、複数人がそれぞれの視点から語る一人称スタイルで執筆しました。視点の切り替えに使ったのは時間です。子ども食堂の数時間を30分ごとに区切り、リレーのように語り手が変わっていく構成にしました。

 波子を好きだと言ってくださる方は多いのですが、もし彼女の一人称だけで最後まで書いていたら、また印象は違っていたはずです。他の人の目を通じて語られることで、波子がより魅力的に見えている。凪穂のように、波子さんが看板に描くチューリップの絵が古い、花に顔を描いちゃうのがダサいと感じる人もいるわけで、そういう一面が指摘されるのも面白い。

――はっとするラストも素晴らしく、本作の絶妙な構成に心を揺さぶられました。

 実は最初の構想では、あの展開は入っていませんでした。小説だからと派手なことはせずに、なるべく抑えたい傾向が僕にはある。ですが編集者さんからの提案を受けて、その方が物語として動きが出るのであればと、変更しました。そのかわり最後は長々とは書かず、4ページ程度の短さて綺麗に締める。これなら納得がいくし、実際にラストは読者からも好評なので、結果的によかったなと思っています。

ふっくら豆腐ハンバーグを登場させた理由は

――小野寺さんの小説の魅力のひとつが食べ物の描写です。今回もあんかけふっくら豆腐ハンバーグや、コーンとさつまいもの甘露煮、バナナのケーキなど、おいしそうなごはんがたくさん登場します。

 『ひと』のコロッケの印象が強いのか、食べ物に言及していただくことが多いのですが、僕としてはそこまで食べ物の描写にこだわっているつもりはありません。『ひと』も惣菜屋が舞台だからコロッケだな、くらいのスタートでした。僕はそもそも料理をしないし、食通でもなんでもない。豆腐やちくわ、もずくや納豆が好きで、そういうものにばかり目がいってしまう。

 今回は子ども食堂が題材だから、当然ごはんを出さないといけないし、実際にありそうなメニューを考えました。体によくて、カロリーもそんなに高くなくて、子どもが好きなものとしてハンバーグを思いつき、ひねりを入れるために豆腐ハンバーグでいくことにしました。あとはデザートもほしいとレシピを調べて、バナナケーキを出しました。ケーキはあらかじめ仕込んでおくことができて、出す直前に1回フライパンで焼くだけという、かなり実践的なメニューです。

――豆腐ハンバーグには小野寺さんの豆腐好きが反映されているのでしょうか。

 それはありますね。コーンとさつまいもの甘露煮でメープルシロップを使っているのも、僕が好きだから。メープルシロップは、いろいろな作品にちょこちょこと出しています。そういう小細工をするのが楽しいです。

――細かい設定といえば、本作には『リカバリー』の主人公でサッカー選手の灰沢考人の名前が登場します。小野寺さんの小説では毎回のように他作品のモチーフが顔を出しますが、どのような意図で登場人物や場所をリンクさせているのでしょうか。

 灰沢考人に気づいていただけて嬉しいです。僕の作品では人や街、アパートや映画など、別の作品のモチーフが出版社またぎで出てくることが多い。これはただおまけとしてやっているわけではなくて、すでに設定が定まっている要素を作中に入れると、話が膨らんで物語が動き出す。そういうよい反応が生まれるので、ほぼ毎回何かしらのリンクを作っています。

会話は説明に使わない

――作者として思い入れのある人物やエピソードを教えてください。

 男性の一人称「おれ」で書いている時は、やっぱり筆が乗るんですよ。今回でいえば、波子の息子の航大を書いている時はとても楽しかったです。航大が子どもの頃に石入り雪玉を投げて窓ガラスを割ってしまう話が出てきますが、悪いことだと分かっていてもやってしまうあの感じを書きたかった。

 それ以外では牧斗も書いていて楽しかったですし、お母さんの貴紗との組み合わせもよかった。貴紗は同級生にぶたれた牧斗を守ろうとして、お詫びとして差し出された有名店のクッキーをいらないと突き返す。でもクッキーは食べたかったなと言う貴紗に、「じゃあ、もらいに行く?」と牧斗が言う場面は自分でも気に入っています。

――その航大と牧斗が言葉を交わすシーンがものすごくいきいきとしていて、何ページにもわたって会話が続くのが圧巻でした。小野寺さんが書く会話は決して説明調にはならず、違和感のないごく普通の言葉で流れていきますよね。

 投稿時代にはシナリオも書いていたので、その経験がいきているのかもしれません。僕の小説はそもそも会話が多いし、他の人があまりやらないような「うん」という相槌だけで一行を終わらせたりもする。実際の会話だと、一人が長い話をしている時に、相手が何も相槌を打たないということはないじゃないですか。小説であっても、そういうところまで含めて普通の話し言葉に近づけたいし、会話を説明には使いたくない。

 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』じゃないですけど、一人称の話し言葉だけで文章を全部成り立たせられないかと挑戦したこともありました。僕はサリンジャーよりも、デイモン・ラニアンやリング・ラードナーの方が好きだったので、その感じでやってみた。けれども喋った内容をそのまま文字で読むのはきついし、小説としてうまく変換する作業がどうしても必要になる。会話を日常的な話し言葉に近づけるにはどうしたらよいか、今も考えています。

――『とにもかくにもごはん』は現時点で3刷と、好調です。小野寺さんといえば『ひと』ですが、本作は小野寺さんの持ち味とテーマがうまくあわさった作品で、次なる代表作になりそうな予感がしています。

 一番好きですと感想に書いてくださる方も多いですね。そして僕の小説だからではなく、子ども食堂というテーマに興味を持って手に取ってくださる方がたくさんいる。それだけ6人に1人はごはんを食べられない子どもがいるという状況が衝撃的で、子ども食堂が注目を集めているのだと感じています。

――帯ではるな愛さんも続編に期待を寄せていますが、今後の展開についてはいかがでしょうか。

 続編については今のところは考えていませんが、読みたいと言ってくださる方もいるし……。ただ書くにしても、クロード子ども食堂に毎回違う人が訪れるという連作短編集にしてしまうと、ありきたりになってしまう。『片見里、二代目坊主と草食男子の不器用リベンジ』という作品の姉妹編として、『片見里荒川コネクション』を書いたように、主人公も違うし別な話だけれど、登場人物がクロード子ども食堂とちょっと被るという姉妹編なら面白いかもしれません。