怪談の背後にある感情を描く
新名智のデビュー作『虚魚』
新名智の『虚魚』(KADOKAWA)は、第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞の大賞受賞作。この小説のテーマはずばり〝怪談そのもの〟である。主人公の三咲は、体験した人が死ぬ怪談を求めて、長年取材を続けている怪談師だ。ある日、釣り上げたら死ぬ魚にまつわる噂を耳にした三咲は、同居人のカナとともにその真偽を探り始めた。
両親を悲惨な事故で亡くした彼女にとって、怪談は単なる気晴らしや娯楽ではない。静岡から長野へ、川の流れに沿って広がる怪談を取材しながら、三咲とカナはさまざまな出来事に遭遇。怪異の水源地へといたる旅路は、三咲の心に微妙な変化を与えていく。
作中でも描かれているとおり、近年怪談は新たなエンターテインメントとして人気を集めている。三咲のようにイベントや書籍で怪談を発表する者も多い。著者はその抗しがたい魅力を認めたうえで、「過去の事件や、他人の悲劇を掘り返して、おもしろおかしく語る」のが怪談だという視点も忘れない。死者にもう一度会いたいという切なる願いと、人々が隠し持っている暗い欲望。相反する感情を受けとめる本作の怪談観は、綾辻行人ら選考委員にも評価された。
物語のトーンは淡々としており、恐怖シーンにもしつこさがない。複数の怪談を芋づる式に調査していく展開は、小野不由美の『残穢』を連想させるところがある(事実、著者はこの名作のファンだという)。もっとも入り口は『残穢』に似ていても、出口はまったく違っていた。タイトルの『虚魚』と響き合う切ない幕切れとともに、怪談が語り継がれているこの世界の奇妙さを、あらためて感じることになる。
恐怖について語ることが恐怖を呼ぶ
澤村伊智『怖ガラセ屋サン』
澤村伊智の『怖ガラセ屋サン』(幻冬舎)は、ホラー小説の最先端に位置する連作短編集。怖ガラセ屋サンと呼ばれる正体不明にして神出鬼没の女性が、さまざまな手段で人を恐怖させ、絶望に追いやるさまが描かれている。いわば〝恐怖についての恐怖小説〟であり、7つの短編を読み進むうち、読者は「恐怖とは何か」というテーマに思いを巡らすことになるだろう。
巻頭作「人間が一番怖い人も」で扱われているのは、世界で一番怖いのは人間だ、というリアリストがしばしば口にする主張。主人公のマンションを訪れた怪談マニアの男女は、このもっともらしい説をショッキングな方法で崩壊させ、主人公夫婦を震え上がらせる。あるいは「救済と恐怖と」のスピリチュアル詐欺師、「子供の世界で」の友人を死に追いやった少年など、許しがたい連中が恐怖に泣き叫ぶ姿は痛快である。思わずホラーの素晴らしさを称揚したくなるが、巻末の「怖ガラセ屋サンと」では、恐怖を喚起させる作品は高尚だ、という思い込みもまた相対化されてしまう。つくづく周到な連作なのである。
ステージ上で語られる怪談が批評的に紹介される「怪談ライブにて」、車の中で男女が恐怖論をたたかわせる「恐怖とは」のように、メタフィクション的な構造を備えた作品が大半で、澤村作品の中でもかなり攻めた作風。それでいて7作ともちゃんと怖いのが素晴らしい。現代ホラーの旗手は、恐怖について語ることをエンターテインメントにしてしまった。
ホラーの今を詰め込んだ雑誌
『早稲田文学 2021年秋号』
『早稲田文学 2021年秋号』(早稲田文学発行、筑摩書房発)の特集は「ホラーのリアリティ」。各分野の研究者や作家、映画監督やゲーム実況者などがそれぞれの立場からホラーを論じ、語っている。400ページを超える分厚い雑誌のページをめくっていると、ホラーの広大な森に迷い込んだような気がしてくる。
この特集はふたつの点において画期的だ。ひとつはカバーしている領域の幅広さ。従来ホラーの特集といえば小説や映画、漫画が中心になることが多かった。しかし今日ホラーを語るうえでは、ネットロアやホラーゲーム実況、ゴーストツーリズムなどを無視するわけにはいかない。というより多くのホラーファンの関心はそうした新しい表現に向けられている、という事実を本特集は示している。
もうひとつはホラーを論じる切り口の多彩さだ。虚と実、ノスタルジア、場所と空間、フェミニズムなどの視点から、ホラーという曖昧模糊としたジャンルの輪郭が浮き彫りにされる過程はスリリング。『資本主義リアリズム』で知られる批評家、マーク・フィッシャーの論考「怪奇なものとぞっとするもの」が紹介されているのも貴重。
どこから見てもマニアックなこの特集号が話題を呼び、増刷されたという事実に、寄稿者の一人として驚かされた。私たちは令和のホラーブームに直面しているのか。そんな思いが浮かんでくる、熱気に触れた一冊だ。