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「虚空へ」書評 詩行がつかまえ 余白が手放す

評者: 生井英考 / 朝⽇新聞掲載:2021年12月11日
虚空へ 著者:谷川 俊太郎 出版社:新潮社 ジャンル:詩歌

ISBN: 9784104018086
発売⽇: 2021/09/28
サイズ: 20cm/199p

できるだけ少ない言葉で詩を書いてみたい−。誕生の不思議、いま触れている感覚、死の向こう。2020〜2021年に14行に凝縮して綴った、軽やかにして豊かな全88篇。『新潮』…

「虚空へ」 [著]谷川俊太郎

 新聞や雑誌に書評やコラムを書くときは、ウェブ版の総字数ではなく、印刷紙面の行数と字詰めをたしかめてから書き始める。漢字とひらがなの配分や余白のぐあいで、伝わりかたが変わるからだ。
 口幅ったい言い方だけれど、本書の詩人もいわば同じような配慮に敏(さと)い人だと思う。それは読者への親切という以上に、言葉を内省から自由に解いてやるためのルールのようなものだ。
 「椅子を/引き/立ち上がる//手が摑(つか)み/足が踏む/心は知る/己が自然を」
 ただでさえ余白の少ない新聞の紙面に、詩篇(しへん)を引用するのはもどかしい。本書の場合はことにそうだ。
 ここに収まった88編の詩は、できるだけ「言葉数を少なく」と心がけた作だという。詩人はこれまでも十四行詩(ソネット)の形式を幾度も使っているが、本書はなかでも完成度というか、熟練に目をみはる。
 「静寂が/沈黙を抱きとめる夕暮れ/書類が/白紙に帰る//子守唄の/旋律の/消えない記憶//明日が/捨ててある/道端」
 めざましいのはこの達成が、老境に対したものであることだ。諦念(ていねん)ではなく枯淡のたぐいでもなく、自足ではむろんない。あるがままに老いをなどときれいごとを言わず、さざなみのように寄せ返す日々の泡を、詩行がつかまえ、余白が手放す。
 「残らなくていい/何ひとつ/書いた詩も/自分も//世界は/性懲りもなく/在り続け//(略)空白が/空(そら)を借りて/余白を満たす」
 そういえば四半世紀もむかし、上野公園が外国人の労働者で溢(あふ)れていたころ、いろいろ話をする機会があった。そのときよくたずねられたのが「いま日本でいちばん尊敬されている詩人は?」という質問だった。
 中東はどこもそうだが、とりわけイランは詩人の地位が高く、みなが愛誦(あいしょう)する詩人が歴代いるという。あのとき口ごもった自分の不明を、改めて恥じなくてはいけない。
    ◇
たにかわ・しゅんたろう 1931年生まれ。詩人。『世間知ラズ』で萩原朔太郎賞、『詩に就いて』で三好達治賞。