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「水」は人知を超えた異界 泉鏡花・釣りホラー・孤島…海や水にまつわるホラー3冊

喪失に向き合う男たちの「釣りホラー」

 まずご紹介するのはジョン・ランガンの『フィッシャーマン 漁り人の伝説』(植草昌実訳、新紀元社)。ランガンは日本ではあまり知られていない作家だが、本国アメリカでは20年以上のキャリアを誇る実力派で、2016年にはこの作品で権威あるホラーの文学賞「ブラム・ストーカー賞」長編賞を受賞している。

 愛する妻を癌で失った主人公エイブ。失意のどん底にあった彼を救ったのは、数十年ぶりに再開した川釣りだった。ヤンキースのキャップを被り、釣り竿と餌を持って出かける週末が、孤独と喪失感でぼろぼろになりかけていたエイブを、少しずつ回復させていく。やがて彼に同行するようになった年下の友人ダンが、地図にない川「ダッチマンズ・クリーク」に行ってみないかと提案する。エイブと同じ会社に勤めるダンもまた、悲惨な交通事故で家族を奪われ、深い悲しみのただなかにあった……。

 物語は3部部構成になっていて、第1部はエイブとダンが「ダッチマンズ・クリーク」に向かうまで、第2部はダイナーで耳にした幻の川にまつわる長い物語、そして第3部は「ダッチマンズ・クリーク」にたどり着いた2人が遭遇する超現実的な事件を描いている。

 なかでも読み応えがあるのが、20世紀初頭のニューヨーク州を舞台にした第2部。雄大な自然を背景に、邪悪なるものとの対決が描かれるこのパートは、ホーソーン、メルヴィルなどに連なるアメリカ文学の伝統を感じさせる一方で、マッケン、ラヴクラフトら怪奇の巨匠たちの影響も色濃い。

 貯水池工事のキャンプ地がじわじわ忌まわしい気配に覆われていく中盤の展開は、巧みな語り口もあいまって、おそろしいやら面白いやら。先が気になるけど読むのが怖い、という幸福な悩みを久しぶりに味わった。魔術的な事件の背景に、荒れ狂う水や巨大魚のイメージを持ってきたところも本書のミソ。

 と同時にこれは、耐えがたい喪失とどう向き合うか、というテーマの物語でもある。愛する人との死別を経験した男たちの人生が、魚釣りというアメリカ人らしい行為を介して交わり、数奇なドラマを紡ぎ上げる。「ああ、いい小説を読んだ」という気分に浸ることのできる一冊で、もっとランガンの作品を読んでみたくなった。

文豪・鏡花の名作怪談戯曲アンソロジー

 わが国で水を描いた作家といえば、泉鏡花の名があげられるだろう。『文豪怪奇コレクション 綺羅と艶冶の泉鏡花〈戯曲篇〉』(東雅夫編、双葉文庫)は、「おばけずき」としても知られた文豪・鏡花の名作戯曲を、怪談の観点から厳選したアンソロジー。

 たびたび舞台化されている「夜叉ケ池」「海神別荘」「天守物語」の〈妖怪戯曲三部作〉はもちろん、晩年の三島由紀夫が絶賛したことで有名な「山吹」、金沢での幽霊譚を下敷きにした「お忍び」などの後期作品、蛙と緋鯉の対話を描いた愛すべき小品「池の声」のようなマイナー作まで収録しているのが嬉しい。先に刊行された『文豪怪奇コレクション 耽美と憧憬の泉鏡花〈小説篇〉』とあわせ読めば、日本屈指の幻想作家・泉鏡花の最上の仕事に触れることができるはずだ。

 ノーベル賞作家・ハウプトマンの戯曲「沈鐘」(鏡花が友人のドイツ文学者と共訳したもの)が収められているのもポイント。ロマンティックで異教的な雰囲気といい、気高く純粋な山姫ラウテンデラインのキャラクター造型といい、あらためて読み比べてみると、鏡花の代表作「夜叉ヶ池」との類似は明らかである。たゆたう水面の向こう側にある異界のイメージは、洋の東西を問わずロマン派作家の魂に訴えかけるものがあるのだろう。

孤島が舞台の幻想的ミステリー

 3冊目はミステリーを。『弔い月の下にて』(行舟文化)は変格探偵小説の復権を掲げる作家、倉野憲比古が10年ぶりに放った快作だ。心理学を専攻する大学院生・夷戸とホラー雑誌編集者の根津、夷戸がひそかに思いを寄せる喫茶店のマスター・美菜の3人組がボートで向かったのは、かつて隠れ切支丹たちが集落を作り、悲惨な海難事故の舞台ともなった壱岐沖の孤島・弔月島だった。

 島に接近した夷戸たちは、塔のようにそびえるコンクリート製の建物を発見。船を停泊させたところで島の住人に捕まり、建物内に軟禁されてしまう。それから相次いで起こる奇妙な殺人事件。呪われた島を跳梁する殺人者の正体とは?

 この物語の特色は、社会から隔絶された舞台と風変わりな登場人物によって醸し出される、白昼夢のような雰囲気にある。そもそも探偵役を務める夷戸が精神的に不安定な人物であり、事件の解釈は口にするものの、犯人を追い詰めることには興味がなさそうなのだ。そのため謎の論理的解釈にこだわった本格ミステリーでありながら、ある種の江戸川乱歩作品にも似た幻想味を感じさせるものになっている。

 冒頭の印象的な春の海のシーンから、ショッキングで忘れがたいエピローグまで、さまざまな表情を見せる大海原が悲劇性を高めている点、海からそびえ立つ要塞のような建物が、崇高さと邪悪さに引き裂かれた事件の似姿になっている点も、忘れずに指摘しておきたい。