合理性の中にも、花をめでる心を持って
母がグループホームで暮らすようになって3年、週に一度は空き家となった高台の実家を訪ね、あふれたモノの整理をしてきました。昭和の家はまだがっしりと土地に根を張り、多くの思い出も抱えこんでいます。13年前に亡くなった父の背広をタンスから取り出したとき、父の匂いが残っていて目尻がにじんだこともありました。
父はリビングルームのサイドボードに何本か高級ウイスキーを残したままでした。父をしのんで飲んでしまいましたが、父がなぜ手をつけないままだったのか、今になって考えることがあります。
80歳で父は亡くなりましたが、グラスをかたむけるときのことを想像してにんまりすることもあったのではないか、黒光りするボトルやラベルをながめ楽しむ、そんな時もあったようにも思えます。1本のウイスキーにも老いた父の喜びがあり、未来があり、明日飲もう、来週、病院の検査が終わったら飲もう、などとささやかな未来を託していたのかもしれません。
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多くの整理術は「いつか」という時はない、使う時期がはっきりしないなら処分することを教えますが、「いつか」の希望を託せるモノも少しは手もとにあったほうが「今」は豊かになるかもしれません。
92歳になった母が、この家で再びひとり暮らしができるとは思えないのですが、コロナ禍が終わり、久しぶりに家に帰ってきたとき、淋(さび)しさを感じることがないように未来と過去をほどよく残した整理を考えるようにもなりました。
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家の中は少しずつ整理ができますが、庭はそうはいきません。目隠しとなるカイズカイブキをはじめ、コブシにツバキ、ウメ、カリン、ツツジにブルーベリーと狭い庭には草木がびっしり植えられ、草をむしり、伸びた枝を切っても、夏はうっそうとした茂みになるのでした。
年に二回ほど業者に手入れをお願いしていて、昨年の暮れにも剪定(せんてい)をしてもらいました。顔なじみとなった職人さんは60代後半でしょうか、寡黙なひとですが、和やかな笑顔も見せてくれます。朝は9時きっかりに仕事を始め、ひとりで黙々と樹木を剪定し、下草もきれいにし、昼は15分ほど休むだけで、午後3時には仕事を終え、一日に刈った枝葉を処分場に運んでいくのでした。
湯茶の接待も差し入れも遠慮し、仕事の報酬以外はいっさい受け取らないという流儀で、昼食も持参したおにぎりを軽トラックの運転席でさっと食べます。トイレを借りることはあっても、軒先でお茶を飲むこともなく、その仕事ぶりには美学といったらおおげさでしょうが、昔からの職人気質とはちがった合理的でさばさばした手際の良さを感じるのでした。
冬のこの季節、庭では大きな黄色い花芯のある薄桃色と白がまじったツバキがたくさん花をつけます。ただ手入れもできずに枝葉は伸びほうだいで、ぽろりと落ちた花がそのあいだにひっかかったまま茶色に変色していました。葉陰にはまだ花が隠れていて「できるだけ残しましょう」と職人さんは言ってくれましたが、隣家の敷地に落ちると迷惑もかかり、時間も限られているので、花もいっしょに切っていいのでとにかく伸びた枝葉を短くしてくれるように頼みました。
仕上がりは、短く刈りそろえた枝葉にアップリケでも新しく縫いつけたように隠れていた花が点々と目立つようになり、新春を迎えるのにふさわしい清(すがすが)々しさと華やかさが、空き家の冬枯れの淋しい庭を彩りました。
流儀には反すると思いながら、お礼に缶ビールを一本手渡したら、職人さんは丁寧に礼を言って受け取ってくれました。夜、一日の仕事を終え、風呂上がりに飲むビールののど越しのうまさを想像したのか、その瞬間、マスクで隠された口もとがほころぶのをたしかに感じたのでした。=朝日新聞2022年2月7日掲載