「さくらんぼ」は宵のイメージ
――デビュー19年目で初の歌詞集を出すことになったのはなぜでしょう?
昨年9枚目のアルバム「LOVE POP」を出して、自分の中で何らかの区切りはあるだろうなとは思っていたんです。誕生日が9月9日ということもあって、これまでも5とか10よりも、9が重要な数字になることが多くて。歌詞集に9枚目のアルバムの歌詞も入れられるならやりたいです、という話をしました。
――134編すべての歌詞を「暁/朝朗/朝間/真昼/白日/黄昏/宵/小夜/深夜」という、1日の時間が移り変わるイメージの中に収めている構成がおもしろいです。
私としては、自分の楽曲がまったく難しくなく、簡単で、すごく距離感の近いものが多いことが特徴的なのかなと思っていて。だから何かで区切るとなったときに、人にとって一番身近なもので、区切りがあるものって何だろうなと考えて、1日の流れを提案してみました。実際に作ったミュージックビデオではなく、自分の頭の中にある楽曲の景色と合う時間帯に収めています。
――「さくらんぼ」は宵に入っていて、「プラネタリウム」は小夜に入っているんですけど、その振り分けはどうやって決めたんですか?
「さくらんぼ」は、あの曲を出した当時(2004年)いちばん元気だった時間帯ということで、宵に入れました。若い時はやっぱり夜が元気で、朝昼寝て夜遊ぶ、みたいなことが多かったんです(笑)。「プラネタリウム」は、夜のグルーヴ感を大事にしたかったので小夜に。それも、元気はつらつの小夜ではなくて、一旦落ち着いてほしい時間帯を選びました。
――歌詞集を出すにあたって、過去の歌詞を読み直したと思うんですが、この時こういう心境だったなって思い返すことはありましたか?
自分や身近な人に起きた出来事は思い出しましたね。「ああ、この時こんな感じだったなあ」って。最初に書いたのは「Dear, you」で、15歳の時に生まれて初めて作った曲です。やっぱり若い時に書いたものは、ちょっと夢見がちなところが多いなと思いますね。
――今では出産も経験されていて、そういう出来事はやっぱり歌詞に反映されていますか。
自分より大切なものに対しての感情を体験した、っていうところはそうですね。「Re:NAME」や「CHU×CHU」っていう曲は、子どものことです。日々自分の人格も変わっていきますし、新たに得たものと、得るとやっぱり失うものもあって。どうしたって今、子どもの時みたいに、勇気を持ってすごいワガママを言ったりだとか、暴れたりだとか、それは抑制がかかってしまってできないですよね。
いつも自分は今日が一番先頭で、明日以降は全部未知なので、そこで自分が得たものだったり感じたものをそのまま消化できたときに、歌詞が自然に出てくるんじゃないかなって思っています。「こう書きたい」とか「こういこう」みたいなものよりは、普通に自分が一生懸命生きていれば、それが結果として出てくるのかなと。
知らない感情は書けない
――経験を元に歌詞を書かれているんですね。
基本的に自分が知らない感情は書けないんですよ。想像で書くことはほとんどない。自分が一度でも体験したことのある感情じゃないと、説得力を持たせられなくて。自分が共感できない歌詞は言葉だけが浮ついてしまうんです。
だから、同じ体験をしたことがある人は「ああ、この気持ち分かる」って思うだろうし、未体験の人は分からない可能性が高い。若い時にはまったく意味が分からなかったけど、大人になったら共感したっていうこともあるでしょうし。あと、私には男性の本当の気持ちは分からないし、共感もしづらいので、歌詞では女性を応援したり励ましたりしたいというのはありますね。
――気に入っているラインはありますか。
「恋愛写真」を書いた時の、「ただそれだけでよかったのに」っていう言葉が気に入っています。若くて、好きだとか愛しているとか、「ただそれだけでよかったのに」って。恋愛で絶対外せない言葉だよなって思った時に、「うまいこと言えた」って思いましたね(笑)。
――本には岩井俊二さん、水野良樹さんはじめ大塚さんとゆかりのある方々が寄稿されています。読んでみてどのような印象でしたか。
何も考えないでお風呂に浸かりながら見たんですけど、汗が頭から流れるのと同時に、涙も一緒にだらだらと流れていました。みなさん素敵な文章を寄せてくださって、お風呂で笑って泣いて、笑って泣いての繰り返しでした。ずっとタオルで顔を拭いていたので、忙しかったですね。みんな、すごい良い人だなあ、すごいあったかいなあと思って。
アイディアが浮んだら、ご飯は後回し
――川谷絵音さんが寄稿文の中で「愛さんは言いたい歌詞があればメロディをねじ伏せる人だと、僕は思った」と歌詞の“語呂問題”についてつづっていますが、歌詞とメロディではどちらが先ですか?
基本的にはメロディ優先で、メロディにそぐわない言葉数だったら、言葉のほうを変えちゃいますね。
――作詞作曲のプロセスはどんな風に? 歌詞やメロディの断片は忘れないようにボイスメモに入れたりする人も多いですが。
最近は、思いついたらボイスメモに吹き込んではいるんですけど、そういう曲はだいたい消えていきます。残る曲は、これいいなって思って、その場で何度も繰り返して作っちゃうので。ご飯を作ろうと思っていた時にアイディアが浮んだら、ご飯は後回しにするし。「クムリウタ」という曲は仕事に出発する5分前にできて、「仕事に行けません」って言ったことがあります(笑)。多少遅れても大丈夫な案件だったので、「曲ができたら行きまーす」って待ってもらいました。
――曲を作る時間帯っていうのは設けていますか。
曲を作る時間とか、「何をする時間」って決めると歌詞もできないんですよ。夢の中で作っている時もあるし、自転車に乗っている時や歩いている時にも浮かぶんです。子どもと歩いている時に曲ができたら、「曲ができたから一切しゃべらないで」って言います。娘はもうそれには慣れてきていて「曲が一番大事だから、それを優先して」って理解してくれています。昨日も「今、曲を作っているからご飯この後でいい?」って言ったら「いいよ」って返ってきて。彼女の中では私を応援したいっていう気持ちがあるんだと思います。
19年続けてきたモチベーションは
――デビューしてから19年間、音楽を続けてこられたモチベーションってなんでしょう?
前半戦はずーっとハードル走の選手みたいに、障害物を越えて走り続けることの繰り返しでした。自分が走ったあとがどんな道になっていたのか、確認する余裕もなかったです。その道が自分として納得がいくものだったのか分からずに、ひた走ってたというか。中盤戦は「もうちょっとこうだったはずなのに」という苦しみから逃げるような感じでしたね。今はなんとか自分でハンドルを握りながら、いろんな挑戦をして、より自分の幅を広げていくことが課題です。
――大塚さんというと、今も「さくらんぼ」のイメージが強い人も多いですよね。
最近は韓国で広まったっていうのがあって、若い世代の人にも知っていただくきっかけになっているというのは、ありがたいなと思っています。ただ、当時は起爆剤という意味で出したもので、あれが自分の音楽の中心ではなかったんですけどね。むしろ「さくらんぼ」を踏み台に使って他の曲を売り込もう、くらいに考えていたので。「さくらんぼ」をリリースした後のアルバムを聴いてもらえれば、いい意味でのギャップに驚いてもらえるだろうなって思っていました。
――確かに、大塚さんのアルバムには穏やかな曲、翳りや憂いを帯びた曲などが入っていて、かなりヴァラエティ豊かですよね。
自分の持ち味ってなんだろうって考えた時に、曲調の振り幅が広すぎて同じ人がやっているとは思えないっていうところだと思っていて。本人が実在していなさそうとか、本人が曲を作ってなさそうとか、そう思われるのが自分らしさかなって考えていました。「さくらんぼ」とアルバムの曲を作っているのが本当に同一人物なの? っていう。でも、「さくらんぼ」とか「プラネタリウム」とか、目立ちやすい曲にスポットが当たって、「こういう人なんだ」って思われてしまったところもあって。ある程度予測はしていたんですけど、意外にしんどかったですね。
――過去のインタビューを拝読すると、そもそもあまり人前で歌うのが得意じゃないって言われていますよね。それってデビューしてから今もずっとそうなんですか? 緊張する?
ずっと苦手ですね。緊張というか、ちょっと力が入りすぎちゃってるなあ、といつも思います。むしろ、あまりやる気がないくらいの時が一番いいんですよね。通常通りのテンションが一番うまくいくので。頑張ったらいけないタイプなんだと思いますね。
――これまで楽曲提供やプロデュースもされていますが、裏方に回ることは考えたことはなかったですか?
ありますね。何度もあります(笑)。回るならさっさと回りたいです。「LOVE POP」も出すかどうかギリギリまで迷っていたんですが、9枚目まではどうしても作りたいって私の意志があって出しました。表に出るか出ないか、きっちり線を引いてやるっていうことは考えています。どちらを選ぶかはちょっとまだ決めてないですね。その辺は本当に、これからの自分次第だと思っています。