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シュウマイ潤さん「シュウマイの本」インタビュー シュウマイの逆襲は始まっている

シュウマイ潤さん

「長男」っぽいギョウザ、「弟」のシュウマイ

――「この取材、ゼッタイ腹が減る」。そう思って、横浜の老舗・崎陽軒の名物「昔ながらのシウマイ」を買ってきました。つまみながら話しませんか。

 あ、ありがとうございます! あなた、崎陽軒さんの広報の人じゃないですよね? からし、「ひょうちゃん※」もありますね。つけていただこう。いただきます。(もぐもぐ)
※「ひょうちゃん」:醤油の入った磁器。収集家も存在するほどの根強い人気を誇る

――「マツコの知らない世界」に、シュウマイ専門家として2回出演されたのを観ました。「王者・ギョウザにやり込められている姿」が、何とも良かったです。だんだん「負けるなシュウマイ!」みたいな気持ちになりました。

 出演1回目で人生が変わりました。それまでは、ただシュウマイを食べていただけだったのが、こんな、本を出す事態にまでなるとは……。ギョウザとシュウマイは家族ですから、比べられて悪い気はしません。ただ、歴史的には「長男」はシュウマイなのですが、世間的には「長男」っぽいのはギョウザって言われる。インターハイで脚光を浴びる兄。それに比べて「弟」のシュウマイは、やればできるんだけど、顧問の先生とそりが合わなくて、実力があるのに、くすぶっている、みたいな感じ。

――でも、最近は風向きが変わり始めているとか。シュウマイ専門店も増えているそうですね。

 嬉しいですね。なんと、最初の「マツコの~」の放送を見て2年越しで準備し、お店を出した人までいるんです。番組の影響だけではない大きな流れだとは思うのですが、2020年あたりから、シュウマイ専門店は一気に増えました。

――いま召し上がって頂いている崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」は、冷めても美味しいんですね。渋谷駅のデパ地下で買ってきたのですが、渋谷エリアだけでも2店あって驚きました。

 横浜駅、新横浜駅には、おびただしい数の店舗があります。崎陽軒さんの「シウマイ」は間違いなく、日本のシュウマイの基礎をつくりました。知名度、イメージ、それから構成要素。シュウマイと言えばグリーンピースですよね。ニチレイさんが「冷凍シュウマイ」に載せたのが有名ですが、崎陽軒さんはグリーンピースを餡(あん)に練り込んでいる。グリーンピースが広く採用されたのには崎陽軒さんの影響がかなり大きいと思います。あと、大きさ。シュウマイって本来はもっと大きいんですよね。でも、日本のスタンダードはこのサイズ。「ジャパン・シュウマイ」のシンボル。王者です。

――で、崎陽軒が日本「初」なのかと思いきや、最初のシュウマイは別のお店なんですって?

 同じく横浜の「博雅(はくが)」さん。「シウマイ」という名前で1899(明治32)年にブランド化し、名物として出し始めたのが、僕の調べた限りでは最初です。大きくて、どちらかというと本場の中国料理で出てくる点心のシュウマイに近い。材料は、豚とタマネギ、貝柱。

シュウマイは今「第7世代」に

――シュウマイ研究のうえで、ご自身に課したルールが、4つあるそうですね。

――フィールドワークの蓄積の成果として、世代別に、7段階の特徴が見えてきたそうですね。

 はい。「第1世代」は、日本の中華料理上陸と、中華街文化で生まれてきたシュウマイ。限りなく本国の味に近いシュウマイです。日本に上陸した時、華僑には広東の人が多く、結果的に広東のシュウマイが日本では最初のようです。

――それが日本人の舌に合うように変わっていき始めたのが、「第2世代」。

 最初が「博雅」さん。そして「崎陽軒」さんなど。「第1世代」から生まれた「ジャパニズムシュウマイ」です。そこから更に、地域の定食屋として育まれた「町中華のシュウマイ」が、「第3世代」。東京・浅草の「来々軒」さんなどがそうですね。テイクアウトではなく、お店で食べるシュウマイです。そして「第4世代」は「551蓬莱」さんに代表される、豚まん・肉まんの「相棒」としての、お土産シュウマイ。

「来々軒」のシュウマイ(本人提供)

――「第5世代」になると、ワーッと全国の家庭に広まるんですね。冷凍、チルド、惣菜のシュウマイ。

 そうですね。「第5世代」は、戦後、現代の日本の食文化でシュウマイという文化が家庭に広がっていきました。……シュウマイ、もうちょっと食べていいですか。

――どうぞどうぞ。そして、その次の世代、「第6世代」が、全国のご当地食材を生かした「ローカルシュウマイ」。

 (もぐもぐ)各地では現在も工夫や試行錯誤が続いています。たとえば佐賀・唐津市呼子の「いかしゅうまい」。イカの旨味と香りが凝縮した、ふんわりした食感。細かく刻まれたワンタンの皮がまぶされ、個性的な見た目です。九州北部では広く定着しています。ここまで広まったローカルシュウマイは、まだそこまでない。面白いのがまだまだ出てくるはずです。北海道では「ホタテしゅうまい」「本ズワイガニシュウマイ」など高級海産物を惜しげもなく使っています。個人的におすすめなのは「ホッキ貝シュウマイ」。貝と豚肉の組み合わせが珍しい。地元産シュウマイが地元の人にも愛されています。

「いかしゅうまい」(本人提供)

――最後が「第7世代」。従来のシュウマイの常識にとらわれない、新世代シュウマイ。

 特に、2021年あたりに出てきたシュウマイのお店は、かなり攻めています。渋谷にある「KAMERA(カメラ)」っていうお店では、フレンチの技法でつくる、熟成肉を使ったシュウマイ。羊肉のシュウマイは、衣が黒米なんですよ。羊肉の旨味をお米が吸収しています。それをウーロンハイと合わせていただくシュウマイ居酒屋です。

――美味しそう。だけど、皮で巻かれないものも「シュウマイ」に含まれるのですか。

 それは、私が判断することではありません。「シュウマイです」って言ってお店が出しているんですから、それはシュウマイです。スープに入れるシュウマイが出てきたのも、「第7世代」の特徴です。蒸すだけではなく、焼く。揚げる。あと、「水シュウマイ」。どんどん洗練されています。「炊きギョウザ」ってあるじゃないすか。水炊きみたいな白濁したスープに入れるギョウザ。そのシュウマイ版も出てきています。

「水シュウマイ」(本人提供)

シュウマイに惹かれていった理由

――すごいですね。各世代の詳しい特徴や魅力はぜひ、本を読んで確認してもらうとして、シュウマイ潤さんがシュウマイに興味が収斂されていった理由を知りたいです。子どもの頃からシュウマイを食べていたのですか。

 それが、あんまり記憶がないんですよ。家で出てくるのは、ほぼほぼこれ(崎陽軒)だった。でも、母親に確認したら「私も作っていたわよ!」って。ちょっと切れ気味で返されました。

――神奈川・茅ヶ崎のご出身で、地元の高校を卒業後、横浜国立大の教育学部に入学。

 小学校の国語教育専攻でした。大学の先輩に沢木耕太郎さんがいて、高校時代に憧れました。「旅して、文章を書いて、ご飯を食べるようになって、いいな」と。一番好きなのは『一瞬の夏』。一度リタイアしたプロボクサーが復活を目指すノンフィクション。僕、格闘技が好きなんですけど、「競技が好き」というよりは、格闘技に向き合う人の原点、本質に興味がある。ただ、僕は戦わないんです。すごく弱い人間なんで……。教員免許を取得しましたが、1年生の時点で「教員になるのはやめよう」と思ってしまった。

――なぜですか。

 社会を経験していないのに、「先生」って何か変だな、って。今、思えば生意気ですけど。フリーライターとして社会人人生が始まりました。ノンジャンルで書いているうちに、「食べるもの」系の書く仕事が増えていきました。「農業」「地域の食文化を探る」といった分野です。ただ、しだいに「書く」だけでは限界を感じるようになったんですね。そんな頃、ふと、シュウマイのことを考えました。シュウマイは、血であり、肉であり、当たり前の存在なのに、敢えてテーマにするという考えすらなかった。

――「ふとシュウマイのことを考えた」……、そのきっかけが知りたいのですが。

 一言で言うのは難しいんです。いくつか要因はあるんですけど、ある時、「シュウマイがある中華屋さんって少ないな」って気づいたんですよ。ギョウザは中華屋さんにもラーメン屋さんにもあるじゃないですか。でも、シュウマイってあんまりないんです。たまにそれがあった時の喜びと同時に、「シュウマイ=マイナー」であることに気づき始めた。30代後半ぐらいかな。勿論、インパクトの強いシュウマイを出す店は、あるにはあるんです。東京・築地「やじ満」さんのシュウマイは、女性の小さな握りこぶしぐらいある存在感のシュウマイ。でも、そういったお店は圧倒的に少ないと感じました。シュウマイに対する疑問が、だんだん積み重なっていったんです。

 決定的だったのは、高校時代の同級生が雑誌編集をやっていて、僕が編集部に遊びに行った時。「何か新しい企画を出してよ」と言われて、「シュウマイはどう?」と言ったら、鼻で笑われたんです。「それはないわ」って。その時、なんか火がついた気がします。

「やじ満」のシュウマイ(本人提供)

――戦いの狼煙(のろし)が上がった。

 狼煙が上がりました。それで情報収集を試みたら、専門家も専門書も見当たらない。シュウマイ専門店は、当時はほぼない。まとまった情報がないのなら、「片っ端からとにかく食べよう。食べてから考えよう」って。ちょうど2015年、日本で「Instagram」が普及し始めて、僕も何かやろうかなと思っていた頃でした。食べたシュウマイをインスタに上げる。写真はデータベースになるので、あとで検索しやすいんです。ただ、最初の3年ぐらいは誰からも反響がなく、ただ食べて、アップするだけでした。

テレビ出演から協会の設立へ

――それが、上昇気流に乗ったきっかけは。

 マツコ(・デラックス)さんです。アップした写真が100枚を超えたあたりから、周囲の飲み友達から面白がられてはいました。「これはもしかしたら、何かが生まれるかも」と思っていた矢先、番組スタッフからメールが来たんです。その頃から、ちゃんと研究して分類したいという気持ちがどんどん強まって行きました。それで現在に至ります。

――「日本シュウマイ協会」まで設立されたのですね。こちらは、どういった組織ですか。

 ホームページを立ち上げて、「食べるイベント」をやるぐらいの、組織とも言えないようなものなんですけど、協会を作った理由の一つは、やっぱりコロナが大きいんです。当初は、協会なんかなくても、自分の研究を突き詰めていけば良いと思っていました。ところが、コロナ禍になって、シュウマイを出す飲食店が困っていたんですね。それまでは一緒にシュウマイのイベントをやってくれた店が、疲弊して、仲良くしていたお店の人が辞めちゃったりしているのを目の当たりにしました。「これは何とかしないと」「シュウマイで恩返しできないか」と思ったんです。

 協会を名乗り始めたら、「協会さんで、こういうことできないんですか?」とかいう問い合わせがいっぱい来るようになりました。その話の規模が、わりと大きいんですよ。「年1回フェスやろう」という声まで出ています。僕だけじゃなく、いろんな人が関わって、皆さんのお仕事に繋がっていけばいい。今は責任も感じています。

――そんなご自身にとっても、名刺代わりになるのが、この本ですね。

 ありがたいことに、皆さん概ね「面白い」って言ってくれます。全国のシュウマイを地方別に紹介するページは、とりわけ喜んで読んでくれています。素朴な味わいの「シャオマイ」で有名な、佐賀・鳥栖市の「中央軒」さんは、SNS発信を頑張っていて、全国区になる気配がしますし、大阪の「551蓬莱」さん、神戸の「四興楼」さんなど、現地ではメジャーなお店をわざわざシュウマイだけ切り取って語っている点も、面白く読んでくれているようです。

――コロナさえなければ、シュウマイ巡りの旅に出掛けたくなります。

 悔しいですね。とりあえずこの本で、気分に浸っていただくのが良いかも知れません。マップは協会のほうでつくろうと思っています。「ただ出して終わり」にはしたくない。

――ご自身のフィールドワークのアップデートにも繋がりそうですね。

 そうなんです。本を書く上で改めて調べてみると、まだまだ知らない側面がいっぱい出てきています。ブームになる食材ってあるじゃないですか。ギョウザって、第2次世界大戦後に日本で広がって、ずっと右肩上がりに見える。ラーメンも、シュウマイと同じ時期のスタートラインで、同じように普及してきました。ところがシュウマイだけは、歴史はあるのにも関わらず、人気が下火になってしまった。だけど今、シュウマイは、僕が言うとアレですけど、もう一度、復興、もっと言えば「逆襲」みたいなことが起こっている。

――シュウマイで、街おこしが進むかも知れません。

 いろんな特徴のあるシュウマイがある状況が理想ですね。そういうトーンでの街おこしにしたい。全国にいろんなシュウマイがあって、旅に行ったら、「1食ぐらいはシュウマイ食べるか」みたいな。ご当地の、ちょっとピントのずれたシュウマイとかがあるほうが良い。「ゆるキャラ」みたいな感じですかね。街同士で競い合う感じではないほうがシュウマイらしいと思います。

――あくまでシュウマイは「穏健派」なのですね。

 誰も傷つけない。むしろ突っ込まれるぐらいの存在。だけど、地元では愛されている存在。本にも載せていますが、群馬・桐生の「コロリンシュウマイ」は肉が入っていないんですよ。デンプンとタマネギのすり身を練って蒸すだけ。「それ、シュウマイ?」って言う、ツッコミ要素満載のそんなシュウマイも、地元では深く愛されているんです。武闘派じゃない。文系、芸術系かも知れない。僕の考えでは「柔と剛」で言うと、ギョウザはやっぱり剛ですよね。シュウマイは柔。……「柔よく剛を制す」とは言いませんよ!