40歳を前に、みのりは中途半端な日々を送っている。18歳で進学のために上京し、海外活動にも積極的なボランティアサークルにいたころの高揚感はとうになく、仕事にも情熱が持てない。ジャーナリストとして世界各地で活躍する親友とは少し気まずい間柄になってしまった。
そんなみのりが偶然、香川の実家で祖父、清美に若い女性から手紙が届いているのを見つける。祖父は若い頃、戦争で左足を失っていた。黙して語ろうとしない過去と手紙の関係が徐々に明らかになっていく。
みのりの半生は、周りの人物にあこがれ、でもそこに届かない自分を自覚するというサイクルの繰り返しだった。自分の才能や使命について悩み、考え続けてきたみのりにとって、祖父の意外な一面は自身の変化のきっかけとなるものだった。「みのりは他人の才能に圧倒され、自分に才能はないという結論に至っていじけていた。でも、才能って、そういう持ち物比べではないはず」と角田さん。
スポーツ選手の才能のようにわかりやすいものだけでなく、もっとささやかなことも才能ではないか、と考えた。「金メダルをもらうことと、赤ん坊を泣きやますことはまったく違うことだと人は考えるけれど、同じと考えてもいいんじゃないか。そういうことが書きたかった」
小説の書き方 源氏訳を経て100%変わった
池澤夏樹さん個人編集「日本文学全集」(河出書房新社)収録の源氏物語現代語訳を手がけた後、久々の小説として読売新聞に連載した今作は、当初難航したという。「勘が戻らないまま、でもとにかく書き始めると、どんどん些末(さまつ)なことを書き続けていった」
ところが書き進めるうちに、「登場人物の声が聞こえるようになってきた」という。「私は本来、非常にストーリーを重視しているんですけど、もしかしたらストーリーはめちゃくちゃでもよくて、登場人物がいきいきと立っているほうがよい小説なんじゃないかと思えてきた」
「よく(作家で)登場人物が勝手に動き出す、と話す人がいる。そんなことはないだろう、と信じていなかったけれど、今回、登場人物が声を持っていて、何かを言おうとしていることに気づいてしまった」。聞こえてきた声を書きとめる。すると、作者の都合で言わせたいと思っていた言葉なのか、登場人物から自然に聞こえてきた声なのか、までが見えてきた。
「これまでと100%ちがう書き方。こうすれば必ずキャラクターが立ち上がる、という方法論があるわけでもないので、私自身、いま非常に戸惑っています」(興野優平)=朝日新聞2022年3月2日掲載