1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 西村賢太の私小説 分身に託した人生の裸踊り 作家・真梨幸子

西村賢太の私小説 分身に託した人生の裸踊り 作家・真梨幸子

若い頃から通ったJR鶯谷駅前の居酒屋「信濃路」で=2016年、東京都台東区

 西村賢太さんの「私小説」は独特だ。“北町貫多”というキャラクターに自身を投影させて三人称で書き上げる。喩(たと)えるなら、西村さん本人が監督で、自身の人生を役者に演じさせるというスタイルだ。

 西村作品に出会ったのは、北町貫多が登場する前、“私”が一人称の『どうで死ぬ身の一踊り』だった。まあ、腰を抜かした。コンプライアンスが厳しくなりはじめた頃だ、使えない言葉もたくさんあって私自身大変苦労していたものだから、「こんなこと書いていいの?」と驚いたり羨(うらや)ましかったり。作中の“私”は独り善がりなバイオレンス男。放送禁止用語も吐き散らす。カツカレーのシーンは、私小説史に残る惨劇ではなかろうか。なのに、その文章は端正でリズミカルで、美しいのだ。なにより、抜群に面白い。とんでもない読書体験をしたと、大いに興奮させられたものだ。

怒鳴られたら…

 その数年後、西村さんの本を書評する機会を得た。『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(KADOKAWA・電子版あり)だ。この日記シリーズも、猛烈に面白い。“西村賢太”の魅力が炸裂。一日に何度も入浴する潔癖症な面や、五百円玉貯金に精を出す倹約家な面に、ニヤニヤが止まらない。この書評をきっかけに西村さんとお会いすることになったのだが、正直、たじろいだ。いきなり怒鳴られたらどうしよう……と。が、実際の西村さんは紳士で、話を引き出すのがすこぶる上手(うま)かった。そのときは対談だったのだが、今まで誰にも話したことがないようなことまで白状させられてしまった。このトーク力は、西村さんのもうひとつの才能だ。『薄明鬼語 西村賢太対談集』(扶桑社・品切れ)などの対談集でそれを確認することができる。

 私小説作家として揺るぎない地位を確立した西村さんだが、ミステリーにも造詣(ぞうけい)が深い。もしかしたら、いつかはミステリーに挑戦しようと準備をしていたのかもしれない。「崩折れるにはまだ早い」(『瓦礫(がれき)の死角』収録)を読んで、そう思った。私小説なのだが、明らかにミステリーの手法が取り入れられている。事実、私は「あ!」と叫んでしまうほど、騙(だま)された。

 ミステリーといえば、西村さん自身がミステリーだった。あれほど赤裸々に曝(さら)け出していたのに、なぜか謎めいていた。何かに似ている。そう、ストリップ。裸を晒(さら)しながらも肝心なところは隠す。「感傷凌轢(りょうれき)」(『形影相弔(けいえいそうちょう)・歪(ゆが)んだ忌日』収録)では、その肝心な部分が見えそうになる。身を乗り出してステージを仰ぎ見るスケベな観客のごとく、覗(のぞ)き込む私。でも、やっぱり見えなかった! もう少しだったのに! こんなふうに、毎回、お預けを食らわされる気分になる。だから次回を待ち望んでしまう。

タクシーの中で

 が、もう次回はない。

 二月四日、赤羽から自宅(王子)に帰るタクシーの中で意識を失い、翌日の早朝、東十条の病院で亡くなった。そのニュースを聞き、エッセイ集『東京者がたり』(講談社・電子版あり)に出てきたエピソードをふいに思い出す。十七歳の頃、日雇い労働で糊口(ここう)を凌(しの)いでいたときに体験した出来事だ。記憶力が抜群で、動画を再生するがごとくいつでも過去を再現できる西村さんだが、どうもはっきりしない記憶があるのだという。夜間工事の現場に向かう車の中、十条駅手前の踏切を渡ったところで記憶が搔(か)き消されるのだ。

 二月四日、タクシーの中で西村さんはそのときの記憶を取り戻したのではないか。そして、記憶に引きずられるように魂は過去へと吸い込まれ、ついには分身の北町貫多と一体化してしまったのではないだろうか。

 そんな荒唐無稽な妄想をしていたら、涙が溢(あふ)れてきた。=朝日新聞2022年3月12日掲載