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大木亜希子さんがなじめなかった「教育」、違和感と怒りが表現の原動力に

©GettyImages

 20年以上前の話になるので打ち明けるが、小学生の頃、少し苦手な教師がいた。

 その名を、K(仮名)と言った。

 彼女は一見するとニコニコとして良い先生なのだが、「お言葉スタイル」という独自の教育方針を貫いた。

「お言葉」とは、なにか?
「あなたは、お友達に親切にしたので、このお言葉を授けます」
「あなたは授業中に積極的だったので、このお言葉を授けます」
「あなたは教室の掃除を頑張ったので、このお言葉を授けます」

 手のひらほどの白い用紙に、Kがこうした言葉を手書きで書いた紙切れのことである。

 彼女は“良いこと”をした生徒を見かけると、まるで紙幣のように、この「お言葉」を仰々しく与えていく。

 そして「お言葉」が与えられた生徒は、その場でそれを連絡帳に糊で貼り付けて、自身の勲章として大切に保管するよう彼女から求められる。

 毎学期の終わりには「お言葉」の枚数を生徒同士で競い合い、最も枚数の多い生徒はKから文房具をプレゼントされて皆の前で表彰される――それが彼女のやり方だった。

 Kの方針が蔓延した学級内では、「お言葉」を欲するあまり、偽善的行動を行う生徒が増えた。

 たとえばKが見ている前ではクラスメイトに親切にして「お言葉」を貰えるよう励み、Kが見ていないところでは不親切な行動をする――そんな調子である。

 そして、いつしか教室のなかでは、「K先生から認めてもらえなければクラス内カーストで上位にいけない」という恐怖心や同調圧力だけが目立つようになっていた。

 さらに彼女はクラスメイトのうち誰かが転校することになった際は必ず神妙な顔をして「皆、仲間とのお別れは悲しいでしょう? さぁ! 泣きましょう。もっともっと大きな声で!」と言った。

「悲しくて泣く」という行為を通じて、教室全体に一体感を求めてきたのである。

 たしかに仲良くなった友人が転校していくのは、寂しいことである。

 しかし、他者から強要されると、出るはずの涙も引っ込んでしまう。

 興醒めするのだ。

 私は、クラスの大半がKからの求めに応じて必死で目から涙をこぼしているのを横目にどうしても泣けず、「アーン、アン」と泣き真似だけを続けた。

    ◇

 私はクラス内に蔓延する奇妙な空気感を早々察知し、限界を迎え、疲弊し、時々学校を休んだ。

 Kからも嫌われている自覚があり、クラス全員の前で立たされ「大木さんは最近たるんでいる」という言いがかりをつけられて廊下に立たされてこともある。

 怒られている明確な理由は最後まで分からなかったが、絶望的な表情で彼女を睨みつけているのがおそらくバレていたのだと思う。

 クラスには私ともう一人、Kに対して不審感を抱くSちゃん(仮名)という女の子がいた。

 SちゃんもKの奇妙さには早々気づいていたようで、気の毒なことに目をつけられ、よく授業中に「あなただけ集中力がない」と罵られていた。

 いつしか私とSちゃんは、放課後にこっそり近所の公園に集まり、互いにKに対する鬱憤を打ち明けるようになった。

 Sちゃんは色白ですらりと伸びた長い手足が印象的な子で、「大人になったら、私はKを見返す。生徒の気持ちに寄り添える教師になる」と憤慨していた。

 そして彼女は子供ながらに、私の愚痴もよく聞いてくれた。

 Sちゃんは私の話を聞く時、目を瞑り、大人のようにウンウンと小さく頷きながら「分かるよ、分かる」と同調してくれる。

 彼女は私にとって最後の砦であり、希望の星であり、大好きな存在だった。

 Sちゃんと私は固い絆で結ばれ、「今度必ずK先生をギャフンと言わせよう」と誓った。

 それから数年後、我々は小学校の卒業式を迎えることになり、私とSちゃんは、“ある作戦”を決行しようということになった。

 その作戦とは、至ってシンプルである。

 卒業式を終えた当日にKを校舎裏に呼び出し、私達の気持ちを率直にK本人に伝えようというものであった。

 私とSちゃんは卒業式を終えると体育館を抜け出し、その足でKを探し回った。

 そして、そのまま一階の職員室に向かいこっそり覗くと、自席の椅子に座る宿敵Kの後ろ姿が目に入った。

 ところが、である。

 ここでゴクリと唾を飲み込んだ私達は、どちらが先にKに話し掛けるか、無言の押し問答を続けた。

 怖気づいたのである。

 互いに目を見合わせて「アンタが先に行ってよ」、「いや、アンタが先に行ってよ」と、圧を掛け合うが――そんな攻防戦も、すぐ幕を閉じた。

 結局その日、私もSちゃんも二人ともビビってしまい、Kに気持ちを伝えることが最後まで出来なかったである。

 それは人生で初めて味わう、強烈な敗北感だった。

 私は今でもKの存在を思い出すと、あまり良い気分にならない。

 しかし同時に、大人のようにウンウンと頷き、私の話を最後まで聞いてくれたSちゃんのことを思い出し、「大好きだったな」と温かい気持ちになるのだった。

 そして皮肉なことに、あの頃に感じた強烈な違和感と怒りが、いま私が作家業に就く大きな動機になっている。