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「奏鳴曲」書評 医学のライバル 功績も失敗も

評者: 大矢博子 / 朝⽇新聞掲載:2022年03月26日
奏鳴曲 北里と鷗外 著者:海堂 尊 出版社:文藝春秋 ジャンル:小説

ISBN: 9784163915005
発売⽇: 2022/02/21
サイズ: 19cm/453p

「奏鳴曲」 [著]海堂尊

 破傷風の治療やペスト菌の発見などで歴史に名を刻む新千円札の顔、北里柴三郎。作家であるとともに医者として軍医総監まで上り詰めた、今年没後100年を迎える森鷗外。
 ともに近代衛生学を樹立した医の巨人である。著者は本書の中でふたりをライバルと位置づけ、その間には鷗外の嫉妬からくる相剋(そうこく)があったとして描いた。文学者の印象が強い鷗外の医者の側面が描かれているのは実に新鮮だ。
 それぞれの青春期から物語は始まり、東京医学校時代、ドイツ留学時代と編年体で進む。過剰なドラマ性を排して淡々とした筆致で綴(つづ)られる明治の医療史。一方、自信家で豪快に邁進(まいしん)する北里と、心に虚を抱えて攻撃的になっていく鷗外の描写は人間味たっぷり。いわゆる「伝研騒動」の真相にはミステリ作家らしい推理が覗(のぞ)く。
 特に興味深いのは、明治の三大疾病であるコレラ、脚気、結核に対峙(たいじ)する彼らの姿だ。功績とは別に、本書では彼らの失敗にも踏み込んでいる。鷗外は軍隊に蔓延(まんえん)していた脚気の原因が米食にあることを頑として認めなかった。麦飯を採用した海軍で脚気が激減した事実を無視し、陸軍に米食を強制し続けた結果、甚大な数の病死者を出してしまう。北里もまた、結核の治療薬として効果のないツベルクリンに拘泥した。
 研究者として当時の彼らが自分の選択を信じていたという事実は当然ある。しかしそこには同時に、師や派閥を裏切れないという事情も介在した。その背後にはさらに、内務省と文部省の対立や軍部・政治家のパワーゲームがあった。政策に携わる者の都合でデータが改竄(かいざん)され、適切な措置がとられないまま放置される患者。これは決して過去の話ではないのである。
 衛生行政とは何なのか。感染症を前に国がとるべき道は何なのか。自らも医者である海堂尊が、巨星の功罪を通して現代に警鐘を鳴らす、力強い一冊である。
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かいどう・たける 1961年生まれ。医師、作家。2006年に『チーム・バチスタの栄光』で作家デビュー。