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早春は残酷な記憶 人間の根よ、目覚めて驕るな 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評22年3月〉

青木野枝 玉曇6

 「4月は残酷きわまる月」と英国詩人は書いた。そのちょうど100年後を生きる私たちにとって早春はつらいものになった。振り返れば人災も天災もある。教団のテロ、大地震、原発事故、パンデミックの始まり、大国による小国への侵略。

 詩はこう続く。「死んだ地にリラを繁(しげ)らせ、記憶と欲望を混ぜこぜにし、なまくらな根を春雨で目覚めさせる」(T・S・エリオット「荒地」)。春の予兆に想念が蠢(うごめ)きだし、支配欲が顔を出す。

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 川上未映子の『春のこわいもの』(新潮社)は、未知の災いを前に覚える不安と渇きを描きだす秀逸な中短編集だ。疫禍の足音を聞きながら、人びとは気づきたくなかったことに気づく。6編を通して、物理と精神、現実と理念は行き違う。

 「あなたの鼻がもう少し高ければ」では、本名はトヨだがルナと名乗る、美容整形願望のある女子大生が、反ルッキズムへの不信をつぶやく。「しあわせとか愛とかそういうなんかふわふわした適当なものとは根本的に違うんだよ。美っていうのは、どうしたってはっきりして」いるものだと。その理念の矢は己に跳ね返り突き刺さる。「ギャラ飲み」に応募すると、面接で「ブス」という言葉を投げられ、もう一人の応募者は見えないかのように扱われてしまう。ずっとトヨの一視点で語られるが、ラストで不意の転換が起き、強者の視点が導入される。そうした2点の引き合いから、張りつめた弦のような快音が奏でられるのだ。

 「娘について」では、小説家志望の貧しい家庭出身の女性が語り手となり、女優業にぼんやり憧れる富裕層出の女性との関係が回想される。語り手にはいつから自分の本心が見えていたのか。長い緩流のような時の果てに破調の予感が訪れ、その直後に起きたことは具体的に記されない。最後には「春の夜から春の要素だけが消滅」し得体(えたい)の知れない「残り滓(かす)」が降り積もり、語り手を埋めていく。どの編も、花冷えの夜気に首筋をなでられるようだ。

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 同作が禍(わざわい)の予感にたゆたうなら、清水裕貴の連作集『花盛りの椅子』(集英社)は家具を通して、大震災や台風などの災いの記憶と向きあう。

 職人見習いの語り手鴻池が勤める千葉の人里離れた古家具店は、被災などで傷んだ家具をリフォームして売っている。家具は本来の姿の「気配」と、過去の生活の記憶を濃厚に宿しており、それを彫りだすのが職人の仕事だという。表題作では、津波で流されたアンティーク椅子の布張りの中に土砂が入りこみ、草木を芽吹かせる。「万祝い襖(ぶすま)」では、古い襖の層の奥から差別とヘイトの歴史が立ち現れる。

 出色は「巣籠(すごも)り簞笥(だんす)」だ。水没家具を再生する天才肌の職人と若い妻。そのアトリエでなぜか異様に不味(まず)いコーヒーを飲まされる語り手は、家具職人としては未熟だが、声を「聞く人」としての才を発揮する。

 声を聞く存在という意味では、早助よう子「アパートメントに口あらば」(群像4月号)が抜群におもしろい。関東大震災後に義援金をもとに建てられた独身女子高級アパートを舞台にした群像劇であり、管理人となった被災民の娘と、新聞記者をやめて物書きになった飛行機好きの店子の関係を中心に据えている。

 どこかちぐはぐさが妙味となった小説なのだ。俯瞰(ふかん)的な三人称文体で書かれているが、人物間の視点移動には不思議なひずみがあり、「~したという」などと伝聞形が急に入ったり――誰が話を聞いているのか?――引きこもりの末に自殺未遂をした人物がいつの間にか「見事に立ち直って」いたりする。立ち直る過程を書くのが小説じゃなかったか?と、ぽかんとしている前をB―29が超低空飛行で飛びすぎる。ああ、ここに至るまでにその気配は書きこまれていたのに、人は家が焼けるのを見てようやく驚くのだ。

 いまロシア文学を敬遠する向きがあると聞く。ゴーリキー文学大学で学んだ奈倉有里のエッセー集『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)には他者への畏(おそ)れと敬いがあり、一語一句を嚙(か)みしめた。著者は未知の言語に向きあうと、「『私』という存在が感じられないくらいに薄れて、自分自身という殻から解放され」る気がするという。

 繁栄のために侵略や破壊を繰り返す人間の胴欲を詩人は憂えた。4月が残酷きわまる月にならぬよう。人間の根よ、目覚めて驕(おご)るな。現実よ、詩を裏切れ。=朝日新聞2022年3月30日掲載