半年ほどゲスト講師として参加していた土地と身体と建築をテーマにした授業の発表があった。参加者が制作した「坂」を題材にした短い映像作品で、どれもおもしろかった。崖のような急な坂もあれば、なだらかで広い坂、繁華街の路地の複雑な坂もある。定点観測したり、歩く人の足の微妙な動きで見せたり、坂のイメージや意味が膨らんでいった。
以来、外を歩くと坂が気になる。ここも坂だったのか、この坂の湾曲具合が川の流れっぽい、など、坂を意識せずには道が歩けなくなるほどだった。足の筋肉のどこを使っているかで、今は下っている、上っていると実感したりもした。これまで何度も通った歩き慣れた道でも、まったく違う経験に感じられた。
美術作品や小説や映画などを、わたしが好きでずっと興味を持ち続けている理由の一つは、こんな体験が何度もできるからだと思う。美術作家の須田悦弘さんの作品を初めて見たのは、二十年以上前のことになる。本物そっくりの精巧な草や花の彫刻を会場の意外なところに展示する作品なのだが、当時はまだ知らず、案内に書かれた作品が一つ見つからないので友人と探した。ふと見ると、展示ケースの隅に小さな草が生えている。あれじゃない?だってあんなところに草が生えるわけないやん?と見つけたときの驚きは大きかった。美術館の中庭に出ると草木が植わっていた。これも彫刻かも?この中に一つだけ混じっているのかも?と見えてしかたなかった。
世界はさっきまでとなにも変わっていないのに、全然違ったように見える。自分の目は、さっきまでなにを見ていて、そして今はなにを見ているんだろうかと、感覚が根本から揺るがされる。小さな変化でも、それまで見えていなかったものが見える。それはずっとは続かないかもしれない。坂も植物もまたすぐに見慣れてしまう。それでも、普段は見えていないものがあり、違うふうに見ることができるのを知っているのは、大きな経験だと思う。=朝日新聞2022年4月6日掲載