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見守る眼から見張る眼へ 青来有一

イラスト・竹田明日香

 学校から帰るとランドセルを家に放り出し、そのまま夕暮れまで外で遊ぶというのが今から55年ぐらい前、昭和40年代前半あたりの地方都市の放課後の子どもの過ごし方でした。塾といったらソロバン塾、書道など技能習熟の塾がほとんどで、地方には小学生の学習塾はなく、高学年は地域のソフトボールチームにはいったり、中学生にはクラブ活動で忙しくもなりますが、小学生の、特に3年生ぐらいまでの放課後や休日は放任状態で夕方まで夢中で遊んでいる。ある意味、幸せな時代だったのかもしれません。

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 今は子どもの姿が少しでも見えなくなると心配になりますが、隣近所のつながりが強く、大人たちも意識していなくても地域で子どもを見守るといった一面は確かにあったはずです。自由放任もその安心感があったからで、夕方、帰りが少し遅くなると親が迎えに来て、近所の人にも早く帰りなさいと声をかけられました。遊ぶ場所も公園や小学校のグランド、神社など限られ、そうした場所にいないときには、隣近所に尋ねたら、子どもたちを見かけたところや歩いていった方向がすぐにわかります。実際、近所の大人たちから道ですれちがったときなど「どこに行く?」とよく話しかけられました。地域に子どもたちを見守る眼があり、子どもも漠然とそれを感じていて、あまり遠くに行くこともなかったようにも思います。

 一度、かまぼこ板に竹ひごと紙で作った帆を立てた手製のヨットを街中に流れる川に浮かべ、河口まで歩いていったことがありました。自分がヨットに乗っているような、ちょっとした冒険気分に時を忘れ、最後に海に出て、かまぼこ板のヨットが見えなくなってあたりをながめました。黒い港湾の海には本物の大きな漁船や貨物船がびっしりならび、河口に架かる大きな橋の上からながめている自分がゆっくりゆれているような不安と心細さを覚えたのは、見守っていてくれる眼のない、剥き出しの世界をのぞきこんだのではなかったかとも思います。

 再び川をさかのぼっていく帰り道は遠く、ようやく帰りついて木造の家々が軒をつらね、玄関のまわりには植木鉢がならんだ親しんだ路地にたどりついたときにはへたりこみたくなるくらいでした。近所の大人がさっそく、どこ行っていたの、お母さん、探していたよと声をかけてきて、家族だけでなく隣近所の人たちも心配してくれていたのでしょう。

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 あれから半世紀以上が過ぎて地域の子どもを見守る眼は失われ、学校のPTAの方々が朝夕通学路の横断歩道に立ち、学習塾や学童保育などのなかば公的なところが子どもの見守りの役割を果たしているようです。隣近所のつながりが希薄になって、住人同士も顔さえよく知らず、子どもにへたに声をかけたら、不審人物だと思われかねません。地域の眼は見守りから、むしろ見張りの眼に変わってきたような気もします。

 街角にはその意味での眼はまちがいなく増えてきました。家々やマンションの玄関にモニターがあり、ショッピングセンターでも街路でもカメラの黒いレンズに気づいてはっとすることも少なくなく、クルマにはドライブレコーダーが装備され、私たちはひとりひとりが手にスマートフォンのカメラを持っていて、遠い世界の思いがけないできごとや事件がリアルタイムでネットにアップロードされるようになりました。

 ロシアのウクライナ侵攻も、市民がスマートフォンで砲撃される街を写し、ドローンのカメラや衛星の解像度の高いカメラも、路上に散乱する遺体の生々しい光景などを写しだします。

 見守るでもなく見張るでもなく、気がついたらただもう呆然と見ているだけの自分がいて、これからいったいなにを目撃するのか、ただ眼ばかりが増殖した奇妙な未来社会さえ想像するのでした。=朝日新聞2022年6月6日掲載