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これぞ令和の『ドグラ・マグラ』!? 飴村行さんの新境地「空を切り裂いた」インタビュー

飴村行さん=撮影・加藤梢

スランプ脱出のきっかけになった、デビュー前のノート

――飴村さんにお会いするのは前作『粘膜探偵』のインタビュー以来4年ぶりですね。一時は重度のスランプに陥っていたそうですが、最近の調子はいかがですか。

 今はほとんど復調しています。一時は本当にひどかったですからね。映画が観られない、本が読めない。フィクションに触れること自体が苦痛で、唯一できたのが戦争映画の戦闘シーンを眺めることだけ。スランプの頃は、夕方になると酒を用意して『プライベート・ライアン』のオマハビーチの攻防を何時間もくり返して観る、という生活を送っていました。『粘膜戦士』を書いた2012年頃がどん底で、その後もしばらく低調でしたね。

――苦しい状況からどのように抜け出したのですか。

 そんな生活を続けるうちに、怪獣映画の破壊シーンを観られるくらいには復活したんです。それで2016年に『粘膜黙示録』というエッセイを出して、少しずつまた書けるようになったという感じですね。『粘膜探偵』も自分では書けないだろうと思っていたんですが、締め切りに追われたら完成させることができて。ひとつの突破口になりました。僕は作家を目指していた時代、好きな小説から文章を抜き出したノートを作っていて、今日ここに持ってきているんですが……。

――おお、これは貴重な資料! 飴村ワールドの原点ですね。西村寿行や吉村昭、村上龍あたりは納得のラインナップですが、村上春樹をたくさん読まれているのはちょっと意外です。

 村上春樹には相当影響を受けていますね。悔しいけれどかっこいい。あの才能が心底羨ましいです。村上春樹になれない悔しさが、僕に『粘膜人間』を書かせたんです(笑)。このノートを見返していたら、デビュー前の感覚がよみがえってきて、それもスランプを抜け出すきっかけになりました。初心に戻れたというか。ちょうどその前後に「小説新潮」から声をかけていただいて、『空を切り裂いた』の連作を書き始めたんです。

飴村行さんのノート

読者の人生を狂わせる、呪われた芥川賞作家

――『空を切り裂いた』は、堀永彩雲という作家に取り憑かれた人びとを、幻惑的な筆致で描いた連作集。5つの短編はすべて千葉県の海沿いの町が舞台で、エピソードや人物もリンクしています。

 雑誌掲載の段階ではここまでのリンクはなかったんですが、当時の担当さんが「連作の方が読まれやすいですよ」というので、単行本化にあたってかなり加筆しました。なかなか一本に繋がらなくて、相当苦労しましたね。書いては捨ててをくり返しているうちにやっとラストの情景が思い浮かんで、そこから全体像が見えてきました。

――堀永彩雲は大正生まれ。芥川賞を受賞するもスランプに陥り、カルモチンなどの薬物を乱用。幼い長男を亡くし、妻にも去られた後、50歳で自殺を図ったという不遇の作家です。彼にモデルはいるのでしょうか?

 昔の文豪、たとえば梶井基次郎あたりのイメージですね。さっき言ったように一時期まったく小説が読めなかったんですが、かろうじて文豪の作品だけは読むことができたんです。それで梶井基次郎を読んでみたら、どハマりした。梶井って調べてみたら、うちのじいちゃんの3つ下なんです。じいちゃんは明治31年生まれで井伏鱒二と同い年。そう気づいたら、文豪が身近に思えてきました。梶井が描いている情景も、じいちゃんの若い頃を思い浮かべるとすんなり頭に入ってくるんですよ。

――彩雲の小説は読者の心をとらえ、理性を失わせたり、犯罪に駆り立てたりする。劇薬のような危険な存在です。

 作家の人生がかかった作品には、それくらいの力があると思うんです。僕は昔からゴッホの絵が怖くて、いまだに直視できないんですよ。あれだけ売れたかった人が早死にしたら、そりゃ怨念くらいこもるだろうよと(笑)。彩雲の小説もそれと同じで、人を突き動かす力がこもっているんですね。自分ももしデビュー直後に死んでいたら、『粘膜人間』に魂が乗り移っていたと思います。

怪しい事件が次々と起こる、海沿いの犯罪都市

――第1話「侵徹 シンテツ」では伯父の家に滞在する作家志望者が、第2話「曳光 エイコウ」では役者を目指す青年が、彩雲の小説によって運命を大きく変えられます。単行本の帯に「令和の『ドグラ・マグラ』」とありますが、たしかに狂気を描いた夢野久作の世界を連想させます。

 そう言っていただけると嬉しいですけど、これは担当さんが書いてくれたコピーで、自分ではあまり意識しなかったんです。「全然違うだろ!」と怒り出す人もいそうですが(笑)、あくまで『ドグラ・マグラ』とは別物なので。似ているか似ていないかは、読んだ人それぞれで判断してください。

――物語の舞台となっている千葉県鷗賀(おうが)市は、灰色の空が垂れ込める、荒涼とした雰囲気の地方都市です。

 ドラマの『ツイン・ピークス』のように、小さな町でいくつもの事件が起きるという話にしたかったんです。モデルになっているのは、大学時代7年間暮らした千葉県の某町です。当時は治安がかなりヤバくて、引っ越してきた初日に特攻服姿の兄ちゃんが、自販機をガンガン殴って壊しているのを目撃したんです。彼らはあふれ出した小銭を、まるで農作物を収穫するみたいに持ち去っていきました。誰かが暴走族に足を折られたとか、知らないおっさんに捕まりそうになったとか、そんな話を毎日のように聞いていると、こっちも感覚が麻痺してくるんですね。そういう無法地帯ならではの空気を、この小説では再現してみました。

――「鷗賀」という地名の由来は?

 『伝説のオウガバトル』というゲームから取っています。オウガという響きがなんとなく格好いいなと。大学を辞めて派遣工をしていた時代、よくそのゲームをして遊んでいたんです。

――3話目の「荊冠 ケイカン」では、傭兵として東南アジアで戦った男の過去が語られます。ジャングル奥地での奇怪な儀式が描かれるこのエピソードは、「粘膜」シリーズの雰囲気にも近いですね。

 「粘膜」シリーズのために戦時中の資料をたくさん集めたんですが、読んでいて一番迫ってくるのは、体験者の証言なんです。それも下士官や庶民の、何気ない一言にずしんと重みがある。「負傷した部下を殺害してやった」とか、そういうことを日常茶飯事のように語っているのを読むと、価値観の違いにショックを受けるんです。「荊冠」でも戦争状態ならではの異常さを主人公に語らせてみました。

『空を切り裂いた』(新潮社)

過激なバイオレンス描写をあえて封印して

――4話目の「裂果 レッカ」は、元軍医の祖父と暮らす少年が、一家の忌まわしい秘密に触れるという作品。飴村さんの作品では〈医学〉と〈恐怖〉がいつも結びついていますよね。

 それは生い立ちの影響でしょうね。うちは父親が歯医者で、子どもの頃は診療所と自宅が隣接していたので、よく父親が血まみれの白衣のまま飯を食ったりしていたんです。ほっぺに箸が突き刺さった女の人が、「治してください」と真夜中に訪ねてきたり……。怖いものを書こうとすると、どうしても医学的な世界が出てきてしまうんです。

 元軍医の老人は、口腔外科だったうちのじいちゃんがモデルです。じいちゃんは東京大空襲を体験していて、「立ったまま死んでいる人を見た」「妊婦さんの焼死体が忘れられない」といった話をよくしていました。あの世代の人たちは、そういうすさまじい時代を生きてきたんだ、という刷り込みがあるんですよね。もちろんうちのじいちゃんは、こんなひどい人じゃないですけど(笑)。

――第5話の「燐灰 リンカイ」は、詐欺師に心酔するシングルマザーの姿を、10歳の息子の視点から描いた物語。狭いアパートの一室で、凄絶な光景がくり広げられます。

 これはデビュー前から書きたいと思っていた話なんです。外から見たらとてつもなく怖いけど、内側にいる少年の目から見るとなんでもない。この絶望感をぜひ味わってもらいたいなと。美留樹という主人公は、無力感を抱えていた昔の自分そのものですね。10代の頃は僕もこんな感じでしたから。

――凶悪な事件が扱われてはいるものの、バイオレンス描写は抑えめになっていますよね。

 正直バイオレンスはもういいかなと思っているんです。2010年に「糜爛(びらん)性の楽園」(『厠の怪 便所怪談競作集』所収)という短編を書いて、これが自分の残虐描写のピークだなと感じたんですよ。今後バイオレンスをやるなら、あれを越えるものじゃないと意味がない。それで最近は違うルートを目指すようにしています。文章や雰囲気で、気持ちの悪い感じを出せたらいいなと思って。

飴村行さん

なんだか分からないけど面白い、という読後感

――なるほど。ところで『空を切り裂いた』の舞台は1999年7月です。この設定にはどんな意図が?

 そんなに深い意図はないんです。ノストラダムスの大予言もあまり関係ありませんし。あえていうなら、自分の人生で最低最悪の年が1999年だったということですかね。その年は派遣で働いていた工場が潰れて、履歴書に貼るための写真を撮りに行ったんですよ。それがたまたま自分の誕生日だったんですが、テレビからは宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』が流れていて、はっきり「負けたな」と感じました。

――宇多田ヒカルに敗北したと。

 一生這い上がれないんじゃないかと思いました。作品に血を通わせるために、当時のあの絶望感をたっぷり注ぎ込んでいます。この小説を書き上げて、やっと宇多田ヒカルに負けた悔しさが消えましたね。第2話に出てくる堀永彩雲の文章は、大学時代バンドのために書いて没にされた歌詞を使っていますし、5章のラストで描いた光景も派遣工時代に目にしたものです。いろんな人生の伏線を、やっと回収できてよかったです。

――絶望と救済を描いた物語と、5つのエピソードが絡み合う緻密な構成に、新たな飴村ワールドの始まりを感じました。

 あそこのシーンはどういう意味なんだ、という疑問も湧いてくると思うんですが、全部をきっちり理解する必要はありません。こっちも理詰めで書いているわけじゃないですし(笑)。『ツイン・ピークス』を全話見終えた後のように、なんだか分からないけど面白かった、という感想を抱いてもらえたら成功じゃないでしょうか。

――飴村さんは大の映画好きですが、最近もホラー映画をご覧になっていますか。

 それがホラーのDVDはほとんど処分しちゃったんです。ホラー大賞出身者として大声ではいえないんですけど。その代わりクラシック映画をデジタル修復版で観るのにはまって、ブルーレイを買いまくっています。『市民ケーン』とか『第三の男』とか、昔は退屈だったモノクロ映画もデジタル修復版で観るとめちゃめちゃ面白いんですよ。若い頃、AVをレンタルするためのアリバイに使ったことを謝りたいですね(笑)。『空を切り裂いた』の曇天の描写にも、モノクロフィルムのあの質感が反映されていると思います。

――『粘膜人間』での衝撃的なデビューから、今年で14年になります。

 粘膜も皮膚に覆われて、あまりネバネバしなくなってきました。しかし同じことをくり返しても仕方ないので、文章や雰囲気で手にとってもらえる作品も目指していきたい。昔から「面白いけど人には薦められない」「好きだけど本棚に置きたくない」と言われ続けてきましたが、『空を切り裂いた』はちゃんと人に薦められる作品になっていると思います。