大学時代の論文など初公開
三島由紀夫に川端康成、安部公房。交わした書簡から彼らがキーンに寄せていた信頼が伝わってくる。日本語の文字が丁寧に並ぶ原稿用紙、余白に英文でメモが書き込まれた書籍、師と仰ぐアーサー・ウェイリーから贈られた英語版「源氏物語」は日本文学への道を決定づけた。約500点の資料から多面的で豊かな日本文学者の歩みがわかる。
初公開で注目されるのが、米コロンビア大学2年で執筆した論文「フローベールの象徴主義」。19世紀フランス文学の名作「ボヴァリー夫人」など7作を象徴主義の視点で論じた。日本文学に出会う以前の17歳は、優秀なあまり飛び級で進学していた。指導教員による「A/Excellent」という評価がついている。著作の邦訳を長く担当した翻訳家の角地幸男さんは「文章が的確でわかりやすい。それは後の文体の特徴と同じ。17歳にしてすでにドナルド・キーンだったのです」と驚きを込めて話す。
もう1点、興味深い初公開資料が「無題」とされた英文のタイプ原稿。1957年に執筆した小説だという。南仏で出会った日本人男性とアメリカ人女性の結婚にまつわる物語。未発表のままだったのは、自身の批評眼にかなわなかったのだろうか。
没後初めての展覧会。養子のキーン誠己さんは、「父が生前よく口にしていたことを思い出し、父の思いを実現してもらいました」。解説パネルは日本語だけでなく英語表記も充実させること。教育者として多くの教え子に恵まれたことに誇りを持っていたので、教え子の成果を紹介すること。「父が会場を見たら何と言っただろうかと考えます。きっとはにかんでこう言うでしょう。『こんな立派な展覧会、本当に僕のでしょうか』と」(中村真理子)=朝日新聞2022年6月15日掲載