言葉にできない感情や思いが伝わってくる
給食のコッペパンが食べられず、ロッカーに溜め込んでしまう子ども。実家でほおばる、だし巻き玉子の味――。誰もが共通して持っている、子どものころの記憶を一つひとつ思い起こし、思わずジワーッと泣けるような一冊に出合いました。ひうち棚さんの随筆漫画作品集「急がなくてもよいことを」。今、とても気に入っている本です。
SNSか何かで目にして、味わい深い表紙の画に心ひかれ、すぐに読み始めました。おそらく写真を撮って、それを基に描いているのでしょう、微細な線描に息をのみます。物語は、あくまで自分の身の回りのこと、何気ない日々を描いています。その一つひとつに自分の記憶が重なります。劇的なクライマックスがなくても、「そこに、ただあるだけの物語」で、じゅうぶんに強度がある。魅力があります。
たとえば、最初の章「映画の思い出」――。
著者が小学生の頃に暮らしていた、四国の町での思い出を綴ります。映画館のない町では時々、市民会館で、子ども向けに古い映画を上映する催しがありました。小1だった主人公・孝一は、大きな家で暮らすクラスメート・正男くんに誘われて、初めて映画を観に出かけます。その日、孝一は、母親から襟付きの「よそ行き」のシャツを着せられ、昼食用に300円の小銭を持たされました。
待ち合わせたクラスメート・正男くんは、母親手づくりの昼食の入ったバスケットを持参していました。しかも、孝一のぶんも用意してくれていたのです。市民会館で少々、戸惑いながらも、それを食べた孝一は、正男くんに300円を支払おうとします。ところが、正男くんは「お金はかまへんよ」。正男くんと別れ帰宅した孝一は、畳の間にゴロンと寝転び、目を閉じます。「アンタいつ帰ってきとったんな?」。母親の呼びかけにもロクに答えずに、複雑な、何とも言えない表情を孝一は浮かべます。それでこの章は終わるのです。
寝転んでいる孝一について「どういう心情なの?」と問われても、ちょっと簡単には説明しようがない。けれど、彼の目を見た瞬間、思いがすべて伝わってきます。胸の内を表現している。言語化できない感情や思い、言葉。「そうそう、これこれ!」って思わず膝を打ってしまいます。
もしかしたら、心のどこかで「正男くんの家に生まれたかったな」と思っているのかも知れない。他人の家を羨ましく思う気持ち。他人との差を初めて意識する、小学生特有のあの複雑な気持ち。
「おてがみ」という章は、とてもシュールです。四国に住む著者の叔母が、小学生の頃、大阪に住む姉に宛てた手紙をもとに構成しています。新しい服をねだる妹(=叔母)と、返信をよこさない姉。「おいせやまつりのときに ふくをとどけてもらいたかったと思っていたのに とどけてくれなかったわね」。妹の綴る文章が直截なのに、絵は、田舎で暮らす妹の他愛のない描写が続きます。この章には吹き出しセリフが一切なく、手紙と絵だけで物語が進みます。しかも作中に登場する手紙は、実際に当時、叔母が書いた手紙の原本をコピーして使ったのだそうです。……いったい、どんな気持ちで彼女は書いたのか。背伸びをして見せたかったのかもしれません。
著者の亡くなった父、母、祖母との思い出も、漫画を通じ振り返っていて、僕の記憶ではないはずなのに、その記憶すべてを何だかいとおしく感じます。親や祖母とのやりとりは、やがて、自分の妻や子どもとのやりとりに代わっていく。子どもが大きくなるにつれ、頼もしく感じつつ、寂しくもある。そんなに急いで大きくならなくて良いんだよ。まだまだそのままで、居てよ。タイトルにこめた気持ちが、よく伝わってきます。きっと、著者・ひうち棚さんは、家族との日々を大切に暮らしている方なのだろうと思います。
家族そろって海水浴に行った後、疲れてしまった子どもの寝顔。そうそう、わが家もこんなだったな……。とりとめもない会話ばかり、全然ドラマチックでないのに、じんわり心に染みてくる。何度も読み返すうち、じつは章によって画のタッチが変化していることにも気づきます。そこにひうちさんの生活した日々が感じられる。各章の最後に添えられた著者自身のコラムがより趣を与えてくれます。
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オカヤイヅミさんの漫画『白木蓮はきれいに散らない』。高校時代の友達3人が、とあるきっかけで集まることになります。3人の「しんどい現実」を生きる葛藤が、丁寧に描かれています。ハクモクレンの花は、散る時に黒くて汚くなる。腐ったような、不潔で、淫靡な……これもまた、うまく言語化できないけれど、タイトルが素晴らしい。言葉は、限定して表現しようとすればするほど、表現できないものが増えていく。言い表そうとするほど、言い表せないものが増えていく。これもそんな感情を共有できる作品です。(構成・加賀直樹)