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塩塚秀一郎「レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智」 世の中をついでに生きる賢者たち

 『地下鉄のザジ』や『文体練習』ばかりではない巨星の豊かな文学世界に、塩塚秀一郎著『レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智(えいち)』は一風変わった観点から導いてくれる。

 クノーの小説には、落語の与太郎よろしく、「人生における役割からも金銭からも勝ち負けからも超脱した」「世の中ついでに生きている」人物が出てくる。哲学者コジェーヴの短い評論に触発され、著者は『わが友ピエロ』『ルイユから遠くはなれて』『人生の日曜日』の3作を読み解きつつ、愛すべき与太郎的人物たちの「叡智」を照らしていく。

 例えばピエロという名の男のように、「所有にたいする気遣い」の一切から解放され、「自分には見えていないものがあること」を「謙虚にわきまえて」上機嫌な賢者がいる。クノーの理想の投影であり、著者の共感するところでもあるという。随所に差し挟まれる聖と俗、見かけと真実、そして時間や空間を巡る考察には半醒半睡の気分に誘われた。

 3作を未読で、本書が言及する哲学者に疎くとも、読むに困らない。「難しいことを易しく」の好例のような文章に浸るうち、クノーの小説を読みたくなるだろう。著者はペレック『煙滅』の驚嘆すべき邦訳を成した人だが、本書はまた違う趣向での達成と思う。(福田宏樹)=朝日新聞2022年7月2日掲載