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逢坂冬馬さんがロシア民謡に結びつけた思いは

©GettyImages

 ヒトが何かに取り組むとき、音楽が必要とされます。

 博物館を訪れて、あるいは資料集を手に取って、太古の昔、ホモ・サピエンスが洞穴で暮らしていた頃の用具を観察すると、武器や調理器具といった生きるために必須の用具とともに、笛や太鼓、弦楽器といった、今に連なる各種の楽器の原初的な姿を見ることが出来ます。

 自分よりも強大な獲物に立ち向かうとき、あるいは神に畏敬の念を捧げ豊穣を願うとき、ヒトは音楽の力によって自らの集団を文字通り鼓舞し、奮い立たせていたのでしょう。音楽には呪術的力が宿ればこそ、祭り囃子のないお祭りは寂しいし、リングを目指して花道を歩くボクサーやレスラーには入場曲が必要なのです。

 そういうわけで現代人たる僕も音楽の呪術に頼ることが多くありましたが、その呪術によってたまに思わぬ罠にはまるのでした。

 ポピュラーミュージックではシンガーソングライターが大好きで、中学生の時は尾崎豊さんと鬼束ちひろさんが大好きになり、高校生のときは合唱をやっていたのでバロック時代の音楽を学び、大学生になってから矢野絢子さんが好きになりました。他にはロシア民謡のCDを父から譲り受けて、その圧倒的な肺活量と低音に憧れながら、雄大な国土と歴史に思いをはせたりもしました。

 自分の音楽の趣味は偏っていて範囲が狭いので、今でも大体この方達の音楽を聴いています。

 好きな曲を聴くと力が沸いてくる。そこで逆境に音楽の呪術が必要となるわけです。

 例えば鬱状態を経験すると鬼束ちひろさんの「sign」を聴いて自らを励まそうとするし、仕事に行くにあたって力を出したいときに矢野絢子さんの「天使の歌」を聴いて気合いを入れようとしたし、辛いときは尾崎豊さんの「存在」を聴いて勇気を貰うのです。

 これは大変に効果的な音楽の有効活用ですが、有効なだけに過剰に繰り返すと、「克服したい事象と楽曲が結びつく」という本末転倒な状態に陥ってしまいます。ある時期の僕がそれを経験しました。すなわち鬼束さんの「sign」を聴くと鬱状態のトリガーが入ってしまい、矢野絢子さんの「天使の歌」を聴くと仕事に行く道のりを突然思い出し、尾崎豊さんの「存在」を聴いて辛くなる、という滅茶苦茶な状態になってしまったのです。

 好きな楽曲の呪術に助けられるはずが楽曲の方に呪いをかけたようなものですから、解呪するにはこの結びつけを絶つしかありません。僕はなるべく平穏な精神のときにこれらの曲を聴きまくり、思い出と楽曲の間の関連性をいったん切断して、再び「好き」という気持ちを取り戻したのでした。結構大変な作業でした。

 今ひとつ、僕はロシア民謡に自らがかけた呪いを解呪できずにいます。

 ロシアを舞台にした小説を書いていたときは、執筆の前に聴いて思いをロシアにはせ、その雄大さを意識させてくれたロシア民謡。しかし今の僕は、ロシア民謡を聴くと直ちに「戦争」を想起するようになってしまいました。

 これは好きな曲を聴いて鬱状態に陥ったかつての現象と同じく、まったく無意味で馬鹿げた現象であり、これを無理に理屈立てて正当化しロシア民謡から遠ざかろうとするのは、駅の案内からロシア語を排除しようとするのと同じ程度に馬鹿げていることでしょう。

 しかし今、僕はどんなときにロシア民謡と向き合い、何を感じるべきなのでしょうか。

 答えは未だに見つからずにいます。