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逢坂冬馬さんに創作の本質を伝えた時代劇「大岡越前」

©GettyImages

 小学生の頃のヒーローは、日曜朝の戦隊ヒーローではなく、夕方4時頃に放映されていた大岡越前でした。
 幼稚園児の頃から無類の時代劇好きで、特に「大岡越前」が最も好きなシリーズでした。「水戸黄門」も東野英治郎さんが演じた初期シリーズなどは好きでしたが、立ち回りで助さん格さんが無数の武士をバッタバッタとなぎ倒すより「水戸黄門」よりも、多くの同心や下っ引きが集団で無法者たちを制圧してゆく様がリアルであるし、「水戸黄門」の場合「黄門様が偉いこと」で解決する部分を「大岡越前」は「裁判」で決めてゆくので、幼心にこちらの方が納得できたのです。

 そういうわけで小学校低学年の僕は夕方にテレビの前で正座すると、一部の年代の方にはおわかりいただける、異様に寂寥感漂うあのオープニング曲が流れるのを待ち構えていたのです。
 「大岡越前」は数ある時代劇シリーズの中でも「覚悟」のような価値観が折りにつけ示される傾向がありました。大岡忠相は妻が人質に取られ目の前で刃物を突きつけられ、妻を殺されたくなくば仲間を解き放てと脅迫されれば、堂々と断り(しかも妻に『すまぬ、わかってくれ』と直に謝り、妻の雪絵もそれを受け入れる)、悪党の黒幕が町奉行の管轄を超えた階層の者と判明した際には、必ず正当な手続きを踏まえて幕府を通じて処罰します。なんというか、大岡越前は時代劇のヒーローというより司法と正義の体現者でした。

 今ひとつ、「大岡越前」シリーズで一貫していたのは、「義賊」という概念を徹底して否定しているところでした。金持ちから大金を巻き上げ庶民にばらまく義賊は時代劇にお決まりのヒーローですが、大岡越前はその全てに対して「罪は罪、罰は罰」というスタンスで向き合い、時に苦衷を覗かせながら彼らを極刑に処してゆきます。

 サブタイトルは忘れましたが、このスタンスの最たるものと感じたエピソードがあって、今でもおおよそを記憶しています。
 旗本から大金を奪い去る大泥棒が捕縛される。彼は罪状については認めているが、隠した大金のありかは自供しようとしない。自供を得ることを諦めた忠相は、処刑の前日、今やその名に恥じぬ立派な死を待とうとする義賊のもとを訪れ、語りかける。「お前は明日、みじめに命乞いをして無様に死んでくれ」。義賊は驚く「今あたしに残されたことは潔く死んでみせることだけだ。お奉行様はそれを奪おうっていうんですか」。「そうだ。今や年端のいかない子どもたちもお前に憧れている。お前が立派に義賊として死ねば、お前の真似をするものが必ず出てくる。それを防ぐため、お前は惨めな泥棒として死なねばならない」

 義賊は動揺しながらも拒否し、「処刑の際には高歌を披露して立派に死んでやりますわ」と言い切る。
 処刑当日、義賊は奇妙な高歌を披露し、立派な態度で磔に架けられる。周囲の見物人たちは英雄の最期を見届けるように声援を送る。いざ立派に死のうとした義賊の目に、見物人に混じって自分を憧れの目で見る子どもの姿が見えた。それは忠相の言ったとおり年端もいかない子どもであり、そしてかつて別れた自分の息子であった。突然、義賊は叫び始める「嫌だ、俺は死ぬのは怖い、お役人様、命だけは助けてくだせえ」義賊は処刑され、みっともない死に際に見物人たちは口々に落胆し、誰も彼に憧れを抱かなくなった。そして少年は義賊と信じた男の情けなさに泣き崩れる。「あんなの父ちゃんじゃ無かった」

 処刑後、忠相らは奇妙な義賊が遺した高歌が暗号であると気づき、その解読によってある場所へたどり着く。そこには義賊が盗んだ大金が眠っていた。
 この脚本のどこが優れているのが、今ならば理解できます。しかし小学校低学年の僕には、ただ圧倒的な「何か」を見たという感動だけが残りました。
 そしていかなるジャンルであれ、テーマを設定し全力で描ききる姿勢こそが、大人から子どもまで広く心を掴む名作を生むのだということを学びました。