今年2月に54歳で急逝した作家、西村賢太さんのお別れの会が11日、東京都内で開かれた。祭壇には故人が愛飲した焼酎2ダースがずらり。読者100人ほどが献花に訪れたほか、親交のあった作家らが集まった。
読む喜び感じさせる文章芸、この世を楽しんだ
献杯のあいさつに立った島田雅彦さんは「芥川賞受賞以前からひそかに愛読していました」と話し始めた。西村さんを無頼の系譜に位置づけて、「時にむちゃをし、愚行を重ね、文句を言いまくり、けんかをする。やけっぱちに暮らす生活態度こそが、ふざけた時代にはふさわしいという考え方もある。西村賢太が示した生き方の研究は、今後未来に向かって有効に活用されうるのではないか」。
ともにヤクルトファンで神宮球場でよく観戦したという木内昇さんは「西村賢太という名前だけで勝負ができた人。文章を読む喜びを感じさせる文章芸だった」とたたえ、「(未完となった)『雨滴は続く』を最後まで読みたかったし、年をとってからの活躍も見たかったけれど、寂しくはあっても決してかわいそうではない。私が経験した何百倍もこの世を楽しんであちらにいったと思う」。
もっと話をしなきゃ…化けて出るならそれもよし
田中慎弥さんは、西村さんが中卒、自身が高卒という経歴に触れて「お互い多くの人がたどる常識的な道から反対にそれて作家になった。小説の話も自分のことも語りたがらなかったが、本当はもっと話をしなきゃいけなかった。あれだけの苦労をして、口にはしないが哀愁が体からにじみ出ていた。それがときに傍(はた)迷惑で。嫌な人が死んじゃったねと思いながらみなさんここに集まっている」。最後に勢いよく、こう締めくくった。「私は冥福は祈りません。成仏しろと言いません。化けて出るならそれもよし。たかが作家がくたばっただけじゃないかと無理やり言い聞かせて、じゃあ二次会に行きましょう」(中村真理子)=朝日新聞2022年7月27日掲載