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「道」書評 人生のやり直しが実現できても

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2022年08月06日
著者:白石 一文 出版社:小学館 ジャンル:小説

ISBN: 9784093866491
発売⽇: 2022/06/28
サイズ: 19cm/542p

「道」 [著]白石一文

 もし今の記憶を持ったまま「あの場所」に戻り、人生をやり直せたら……。しかし、その願いが実現したとして、人は何を得て、何を失うのだろう。
 本書の主人公である功一郎(こういちろう)は、大手食品会社で品質管理を統括する優秀な男だ。しかし、3年前に大学生の娘・美雨(みう)を交通事故で亡くし、以来、妻の渚(なぎさ)は心を病んで自殺未遂を繰り返している。
 会社の仕事での重責と義妹の碧(みどり)の助けを借りながらの妻のケア。その過酷な現実に限界をついに感じたとき、彼は中学生の頃に体験したある「奇跡」に望みをかける。
 それは高校受験に失敗した際、「道」と題された絵の前に立った途端、時間が巻き戻されたという奇妙な体験だった。人生の袋小路に立っていた功一郎は同じ「絵」の在処(ありか)を探し出し、娘の事故があった「あのとき」に戻るのだが――。
 娘の生きている世界で主人公は、果たして望んだ人生を取り戻すことができるのだろうか。
 「前の世界」における様々な物事の真相や謎が明らかになるなかで、彼はそのパラレルな世界で受け入れがたい選択を背負うことになる。
 「前の世界」に残してきた人々の苦しみを案じ、「今の世界」では多くの苦悩を積み重ねていく日々。そんななか、悲劇の総量はどの「道」を選んでも変わらないのだ、と思い至るようになっていく彼の姿が胸に刺さる。
 自らの人生を自分のものにするためには、目の前にある「道」の足もとを見据え、その先に待ち受ける風景を見に行かなければならない。仕掛けに満ちたこの長編小説を読みながら、私は著者に繰り返しそう問いかけられているような気持ちになった。
 たとえ過去を変えることができたとしても、そこに立ち現れる「今の世界」の見え方を変えられるのは、結局は自分自身だけなのだから、と。
    ◇
しらいし・かずふみ 1958年生まれ。小説家。『一瞬の光』で2000年にデビュー。『ほかならぬ人へ』で直木賞。