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そしてB6へ 津村記久子

 高いノートより安いノートの方がいろいろ書ける性分だ。高いと身構えてしまう。いちばんいいのは、勤めていた会社の裏紙で、退職後は裏紙が手に入りにくい状況にあるのがちょっと悲しい。

 今はB6縦サイズのノートに執着している。使用している百円のスケジュール帳(B6)のメモ欄に愚痴を書いてみたことが、縦B6の良さを発見するきっかけになった。思ったより快適なサイズだった。自分のデスクの狭い作業範囲に対してちょうど良かった。A5は少し大きい。A6はすぐにページが埋まってしまって手応えがない。B6ですよ。

 なので最近、血眼になってB6のノートを探しているのだけれども、なかなかない。リング式ノートは少しあるとしても、自分は無線綴(と)じか糸綴じのノートがほしいのだ。

 不思議なのは、B5のノートよりも面積が狭いはずなのに、B6のノートの方が高価だったりすることだ。たぶんあまり普及していないからだろう。結局のところ、大量に持っているB5のノートからB6を切り出すというのがいちばん良さげなのだが、罪悪感が強くて踏み切れない。だって半分のサイズのものを取り出すために他の部分をカットするんですよ? 余った部分はメモ帳にするにしてもつらい。バラの精油は一滴取り出すのにバラ五十輪だとか二百輪が必要だっていうのと同じじゃないですか。でもなにか強烈にストレスを感じたらB6のノートを作ろうと思う。自分のことながら、ストレスへの対抗手段が地味すぎる。

 メモについてよくエッセイに書く。生活の一割はメモをとっているかもしれない。〈金枝篇(きんしへん)〉の著者フレイザーは「想像とは、重力と同じぐらい現実に人間に作用するもの」と言っていた。個人の頭の中と社会は密接に関係していて、書くことは社会的なことなのだ。手書きが良いのは適度な身体性によって疲れることで、溢(あふ)れる不安に歯止めをかけてくれる。今日もB5からB6を切り出すのか迷いに迷う予定だ。=朝日新聞2022年8月17日掲載