「満洲」の架空都市、興亡通し探る
戦争はいけない。ではなぜ日本は無謀とも言える先の大戦に突き進んだのか。作家・小川哲(さとし)さんの新刊『地図と拳』(集英社)は「満洲」の架空の都市の半世紀にわたる興亡を通して、戦争に至る構造を描いた大部の小説だ。立場の異なる人々の思惑が複雑にからみあい、白地図のような土地に波瀾(はらん)万丈の歴史を刻んでいく。
「親も戦後生まれの世代からしてみれば、歴史の授業で出てくる第2次大戦は謎だらけ。敗戦に至る過程を一から知りたかった。満洲を書くことが20世紀前半の日本について書くことの縮図だと思ったんです」
物語は日露戦争前夜、1899年に始まる。中国東北部を訪れた軍部の密偵と通訳の細川は燃える土(石炭)の出る土地の話をきく。辺境の小村はやがて「李家鎮」として栄え、都市計画にかかわることになる日本人技師、ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父、秘密結社「神拳会」の訓練を受けて死なない体になった中国人ら、出自も思想も異なる人々が引き寄せられていく。科学的な理性(地図)と宗教的な情動(拳)がぶつかりあい、殺戮(さつりく)の歴史が始まる。
「あえていえば物語の主人公は李家鎮という都市ですね。一つの都市を基点にすれば、満洲国の成立から終焉(しゅうえん)までを書けると思った。新しい国家づくりの理念や理想は必ずといっていいほど失敗する。そんな失敗の正体を知りたかった」
「新しい国家づくり」といえば、山本周五郎賞など多くの賞を受けた『ゲームの王国』(2017年、ハヤカワ文庫JA)もそうだった。カンボジアを舞台に、ポル・ポト内戦期の近過去と、半世紀後の近未来の二つの時代をまたぎ、理想の王国を作ろうとする者たちを描いたSFだ。
「僕は面白い小説を書きたいだけでジャンルにこだわりはないんです。現代とは異なる価値観のなかで人々は何を考え、どう生きるのかを想像する。舞台が過去に向かえば歴史小説となり、未来に向かえばSFになる」
物語後半、「未来を予測することは、過去を知ることの鏡なのではないか」という印象的な言葉が出てくる。冒頭に登場した細川らは1934年、シンクタンクを作り、10年後の日本の未来を考える。地政学と政治力学の知見に基づく予想はことごとく的を射ているのだが、歴史の流れのなかで、まさに机上の空論に終わってしまう。
「失敗の歴史は、当時の人々が無能だったからでも愚かだったからでもない。一人ひとりの人間がよかれと思って選択したことが、思わぬ歴史のうねりにつながることもある。現在を生きる我々にとっても他人事(ひとごと)ではない。フィクションはそんな自覚をうながすことができると思っています」(野波健祐)=朝日新聞2022年8月10日掲載