1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家の読書道
  4. 小川哲さんの読んできた本たち SFには論理と理性に対する信頼感がある

小川哲さんの読んできた本たち SFには論理と理性に対する信頼感がある

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

科学の本とクリスティー

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 内容はまったく憶えていないんですけれど、小学校に入る前か1年生の時に読んだ『エルマーとりゅう』ですね。うちは両親どちらもめちゃくちゃ本が好きで、たぶん母親が僕を本好きにしたくてあれこれ手を打っていて、それで『エルマーとりゅう』を読ませたら、僕がすごく喜んだという。

 それと、『21世紀こども百科』という子ども用の百科事典があり、それにハマって全ページ暗記するくらい何度も繰り返して読みました。親も僕が科学系の図鑑が好きだと分かり、そうした本をいっぱい買い与えてくれたので、小学2年生で「富士山の頂上では80度か90度くらいでお湯が沸騰する」といったこととか、糸電話の仕組みなんかを憶えたりしていました。情報が書かれてあるものが好きだっんだと思います。

 図書館で漫画の「〇〇のひみつ」シリーズも読破しましたし、あと、「わかりやすい〇〇」のようなシリーズがあったんですよね。それの「わかりやすい哲学」みたいな本を読んだら「我思う、故に我あり」などとあって、それも喜んで読んでいました

――本を読むのが好きな子どもでしたか。

 そんなでもなかったです。小学校高学年くらいまではあまり小説も読んでいませんでした。うちは親が共働きで、妹もいたんですけれど家で1人で過ごす時間が結構長くて、そういう時は本も読みましたがテレビゲームをやっていました。

 うちの親は基本的に「勉強しろ」とか「本を読め」とか言わないんです。言っても僕が絶対聞かないから。それで、塾のテストで上位にランクインすると好きなゲーム1本買ってもらえる、という制度ができました(笑)。小学校4年生くらいの時、母親が僕の国語の成績が悪いのを見て、小説を読ませなきゃいけないと思ったんでしょうね。でも「読め」と言っても聞かないから、アガサ・クリスティーの児童用のシリーズを1冊読んだら500円もらえる制度ができたんです(笑)。読んだ後にトリックとか犯人とかを母親に伝えると500円もらえて、そのお金で「ジャンプ」を買いに行っていました

――なぜ子どもにクリスティーだったんでしょうね。殺人事件とかが起きるのに(笑)。

 母親自身がクリスティー好きだったんですよ。僕のこともクリスティー好きにしたかったのかもしれません

――クリスティー好きになりました?

 いや、ミステリーも分からないうちに読んでいるので、クリスティーのすごさを分かっていませんでした。翻訳も子ども向けに易しく書いてありましたし。大人になってから読み返したんですけれど、僕の中ではもうネタバレしちゃっているので、初読の気持ちが手に入らなくて

――児童向けで『アクロイド殺し』とかあったんですかね。

 どうだろう。あったけれど読んだ記憶がないだけかもしれない。あれは確かに子どもが読んだら意味が分からなさそうですね。『オリエント急行殺人事件』とか『ABC殺人事件』はあったかな。

 そこからわりと自分でも小説を読むようになって、みんなが通るような那須正幹さんの「ズッコケ三人組」のシリーズや宗田理さんの「ぼくら」シリーズを読みました

――「ジャンプ」を買っていたとのことですが、漫画も好きでしたか。

 そうですね。スポーツ漫画が好きだったので「サンデー」も読んでいました。あだち充が好きだったんです。僕が小6か中1くらいの時に『H2』が連載されていて、アニメの『タッチ』も放送されていたので、それでばっちり好きになりました

――小川さんのデビュー作『ユートロニカのこちら側』の文庫解説で入江哲朗さんが、小川さんのエッセイに高校時代に『H2』のふたりのヒロインのどちら派かで友人と意見が対立したとあった、というエピソードから話を広げられていましたよね。本編はもちろん、あの解説めちゃくちゃ面白かったです。

 大学院時代の友達の入江君が解説を書いてくれたんです。僕が高校時代に友人と「古賀春華派」か「雨宮ひかり派」で対立したことをエッセイに書いたら、その二択で悩んでいる時点で自分とは違う、本当の問いは「古賀春華か雨宮ひかりか」の二択ではなく、「古賀春華か雨宮ひかりか」という二択を「する」か「しない」かの二択だ、と。そういう面白いことを書いてくれました(笑)

――あだち充さん以外の漫画でお好きだったのは。

 福本伸行さんの『アカギ』とか、『SLAM DUNK』も好きだったし『HUNTER×HUNTER』はいまだにめちゃくちゃ好きですし。うすた京介さんの漫画もよく読んでいました。そのあたりの漫画は家にあったので何往復もしました。

 中高生くらいの時って、自分で買ったかどうかが重要ですね。自分の家にある漫画は、寝る前とか、寝付けない時とかに適当に取って読むから、10回も20回も読み返す。本当にその作家が好きかどうかより、たまたま家にあるかどうかという偶然性がすごく意味を持ちますね

――今振り返ってみて、どういう子どもだったと思いますか。

 目立ってるわけでもなく目立ってないわけでもなく、反抗的でもなく従順でもない、みたいな。先生に怒られたことは何度もあるけど、親が呼び出されるような怒られ方はしない、という感じです

――学校で好きな科目は何でしたか。

 五教科の中では数学でした。五教科以外だったら体育ですね。

 数学が一番楽しかったんで、受験勉強をする時などは、英語や古文漢文の勉強でたまったストレスを数学で解消していました

――作文や読書感想文はどうでしたか。

 めちゃくちゃ苦手でした。小中学生の読書感想文って、あらすじを書いて、「楽しかったです」「僕はこう思いました」と書くというフォーマットがあるじゃないですか。あれ意味が分かんないですよね。あらすじなんて文庫だったら裏面に書いてあるし、なんで俺が書かなきゃいけないんだと思っていました。書くことで型を憶える部分もあるかもしれないけれど、そもそも、言われた通りのことをやるのは面白くなかったですよね。だから課題図書も嫌でした。誰かに「読め」と言われると読む気がなくなるので一切読みませんでした。母親はそれを分かってるから金で解決したんです(笑)

SFにハマる

――子どもの頃、将来なりたいものってありましたか。

 あんまりなくて。サッカーをやっていましたが、サッカー選手になるのは小学生のうちに諦めていましたし。ただ、自分は命令されるのが嫌いだと分かってきてからは、「将来は社長になりたい」と言っていました。当時、命令されない立場の人間として思い浮かぶのが社長だけだったんです(笑)

――サッカーはずっと続けていたのですか。

 大学生までサッカーをしていましたが、高校生の時だけラグビーをやりました。

 僕が行った高校はサッカー部が厳しかったんです。闘莉王の出身校で、推薦で集まったサッカー上手な人と一般で入った人を合わせたチームでした。実際強かったけれど、練習がすごく厳しいし、自分が試合に出られるかも分からないし。それでサッカー以外ならなんでもいいやと思ってラグビー部に入ったら、ラグビー部も練習がきつかった。首の筋トレをするので、毎日首が筋肉痛でした。

 でも結局、入って半年の間に2回骨折したので、やめてしまいました。そこから帰宅部になって、いっぱい本を読みました。

 僕だけかもしれないけれど、スポーツをやっていると、なんか、途中でやめるのはみっともない、最後までやりきるのが偉い、みたいな価値観が染みつくんですよ。だからラグビー部を途中でやめた瞬間に、何かが覚醒した感じがありました。「あ、やめてもいいじゃん」っていう。スポーツをやっていた時期の僕は、本も読み始めたらつまらなくても最後まで読んでいたんです。でも、つまらなかったら途中ですぐやめるようになりました。そっちのほうが読書も楽しいと思いますね

――では、中高時代の読書生活は。

 SFにハマりました。母親はミステリーが好きなんですが、父親は幅広く読んでいて、そのなかでもハードボイルドとSFが好きなんですよね。父親の本棚はハードボイルドとSFが充実していて、そこにあった筒井康隆を読んで「めっちゃ面白いじゃん」となり、ショートショートにハマって星新一を読み、フレデリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリ、アシモフ、ハインラインを読み...

――筒井さんは短篇集とかですか?

 そうですね。小松左京の『日本沈没』を読んでいない段階で筒井さんの短篇の「日本以外全部沈没」を面白く読み、その後元ネタの『日本沈没』を読んで「これって『日本以外全部沈没』のパロディじゃん」みたいに思ったりして(笑)

――お父さんの持っていたハードボイルドにはハマらなかったんですか。

 中高校生の時に読んでもよく分からなかったですね。でもよく考えると、あだち充が書く漫画の主人公ってちょっとハードボイルドなんですよね。あんまり弱音吐かないし、文句言わないし、ちょっと格好つけているけれどちゃんと結果出すし。そう考えるとハードボイルドを理解する素地はあったかもしれません。でも、ウイスキー飲んでタバコ吸って人殴って...って、分かんなかったです。それこそマティーニなんて何のことだか分からないですし

――ああ、ハードボイルドはどのあたりの作品があったのかと思いましたが、フィリップ・マーロウとか?

 当然ありました。父親はチャンドラーの新訳が出るたびに全部チェックしてますね。

 日本だと高村薫さん。高村さんって単行本とか文庫とかバージョンが変わるたびに、めちゃくちゃ書き直しをされるんですよね。父親は高村さんがどこをどう書き直したかとか、もうずっと言ってるんです

――ご家族で本の話ができるなんて楽しそう。

 高村さんの話は父親が一方的にしているだけですよ。でも僕が本棚から取った本を見て、「だったらこれとこれを読め」とか「こういうもあるぞ」とか言ってくれて。母親も、宮部みゆきさんとかはデビュー後すぐくらいから読んでいて、「これ面白いよ」と渡してくれたりしました。母は東野圭吾さんも早いうちから読んでいましたね。学校の教師なんで、『放課後』や『魔球』といった、学校を舞台にした作品が好きだったようです

――クリスティー以降、海外ミステリは読まなかったのですか。

 母親が読んでいたジェフリー・ディーヴァーなどを読みました。

――リンカーン・ライムのシリーズとか?

 そうです。ミステリはその時売れてる作品が多かったと思いますね。僕は最近仕事で山田風太郎や江戸川乱歩を読んだりするんですが、当時は全然読んでいなかった。

 母親は明確に、本格ミステリを読まないんですよね。僕は横溝正史も好きなんですけれど母親はあまり好きじゃなくて、松本清張なんかが好きなんです。

 最近は僕が読んで面白かったミステリを母親に薦めるんですが、アンソニー・ホロヴィッツはめちゃめちゃハマってました。米澤穂信さんも『王とサーカス』はいけるかなと思って渡したら、「めちゃくちゃ面白かった」って。文章が上品で、グロかったりエグかったりしてなくて、事件がちゃんと解決するけれどパズラーじゃなくて、動機も必然性があってご都合主義じゃないミステリが好きみたいです。

――家は本であふれていた感じですか。

 母親は読んだ本をそこらへんに積んでいて、それが限界に達するとまとめて捨てるんですよ。「もったいないから俺が読む」といって引き取っていました。

 父親は保管方法が特殊なんです。必ず書店カバーはつけたままで、背表紙にタイトルをペンで書くんです。最近はテプラになりましたけど。で、読み終わった本は、そのタイトルの下に「小川」という判子を押すんです。中高生の頃は読み終わった本に判子を押してると知らなかったんですけれど、判子がついてる本を読めば面白い可能性が高いと分かってきて、それらを優先して読んでいました。

――小説や漫画の他に、自分に影響があったと思う文化的なものって何かありますか。

 僕はそれがないんですよね。影響を受けた作家もピンとくる人がいないんです。自分は作家になりたくてなったというよりは、他のものになりたくないから作家になったんですよね。そう言うとすごいネガティブな感じがしますが、だからそこ天職だと思ってるんですけれど。

 フィッツジェラルドも好きで『華麗なるギャツビー』も30回くらい読んだけれど、でも別に同じものを書きたいわけじゃないし。

――『華麗なるギャツビー』を読んだのはいつぐらいですか。どうしてそこまで好きだったのでしょう。

 最初に読んだのは結構遅くて18とか19とか。フィッツジェラルドは単純に文章が上手ですよね。なんか、清潔ですよね。

 それに、僕はああいう、なりたい自分と現在の自分にギャップがあって背伸びする人の話が好きなんですよね。そいつのことを知りたくなる。自分でもいろんな小説の中でそういう人を書いているつもりです。だから佐村河内さんとか小保方さんとか好きなんですよ。あの人たちってグレートギャツビーだなと思ったんですよね。僕は運が良くて、わりとこれまでやりたいと思ったことをやってきましたが、だからこそ、なりたい自分に能力が届かなかった時に人間が過ちを犯すことに興味があるというか。どうしてかは自分でもちょっと分からないです。

ウィトゲンシュタインで文転

――大学進学の際は、どのように進路を選んだのですか。

 いろんな要素があるんですけど、まず、一人暮らしがしたかったんです。親に国立だったら一人暮らしさせてあげると言われたのが大きいのかな。それで高校3年生の時にめちゃくちゃ勉強して、高校で理系クラスだったので理系に進んで。東大は入ってから学部を選べるので、どこに入るのかはそんなに考えていませんでした

――一人暮らしが始まって、読書生活は変化がありましたか。

 めちゃくちゃ本を読み始めたのは一人暮らしが始まってからですね。大学1年生で最初に沢山読んだのは村上春樹。15歳の時に『海辺のカフカ』が出て、テレビで紹介されているのを見ながら母親に「あんたは家出しないでね」などと言われ(笑)、それで意識するようになって。大学1年生の時にデビュー作から順に読んでいきました。『アフターダーク』が出たのが2年生の時だったかな。

 時系列が前後しているかもしれませんが、村上龍さんも絶版になっている本まで手に入れて読みました。町田康さんも全部読みました。『告白』が出た頃くらいだった気がします。

 それと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』みたいなものも読んだほうがいいかなと思って読んだら、面白かったですね

――大学ではサッカーのサークルに入ったのですか。

 そうです。サークルでちょっとだけ町田康を流行らせました。町田康って普段本を読まない人も楽しめると思うんですよね。『パンク侍、斬られて候』から入らせるのがいいですね。カズオ・イシグロも流行らせました。僕がやらなくてももう『わたしを離さないで』が流行ってましたけど。

 カズオ・イシグロにハマった友達に『グレート・ギャツビー』をあげたら、「登場人物が多すぎてよく分かんなかった」て言われたんですよ。僕は小説を読んでいて登場人物が多すぎてよく分かんなかったって思ったことは一度もないんで、そういう読書の感想もあるんだと発見になりました。

 「翻訳小説は名前が憶えられない」と言う人もいますよね。それは作家になってから知りました。翻訳小説を読み慣れている人だったら、名前を憶えられなくてもその都度思い出したり、「まああのへんの誰かだろう」ぐらいで読み進めたりするじゃないですか。でも、普段翻訳小説を読んでいないと、名前がカタカナだというだけで固まっちゃう人もいるんだな、というのも発見でした

――小説以外で、数学系や理論系の本もよく読まれていたのですか。

 それで言うと、僕が文転するきっかけになったのが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でした。分析哲学の始まりみたいな本といえばいいのかな。ちょっと異質な哲学書です。大雑把に言うと、これまでの哲学者が哲学の問題としてきた「生きる意味は」とか「道徳は」とか「善とは」とか「神とは」といったことは全部、実は哲学の問題じゃなかったと証明しようとしている本です。要は、問いの立て方が間違っていたからみんな答えられなかったんです、みたいなことを言っている。すごく論理的に世界や言葉を定義しようとしていて、それを読んでから、そうしたことに興味を持ちました。

――なぜウィトゲンシュタインを手に取ったのでしょう。

 これは諸説ありますね。生協で本が光ったような気がするし(笑)。他の人から薦められた可能性もあります。野矢先生説も有力ですね。野矢茂樹先生という、ウィトゲンシュタインの翻訳とか解説本とか書いている先生の授業が面白かったんです。

 僕はもともと数学が好きだったんですけれど、数学の正しさとは何かみたいな問題を考えるようになって、ゲーデルの『不完全性定理』を読んだりしていたんです。数学は正しいとされているけれど、なぜ正しいのかは誰も説明できない。数学の正しさを数学的に証明しようという流れもあったんですけれど、ゲーデルは数学の正しさを数学で証明することは数学的に不可能だと証明したんですよね。そういう数学基礎論に興味があったので、ウィトゲンシュタインにもいったんでしょうね。それが大学院でアラン・チューリングを研究することに繋がっていくんですけれど。

岩波文庫を1日1冊

――理系から文系に移ったのはいつだったのですか。

 3年です。で、文転することになった時に、今まで体系だって本を読んでないから、このまま文系に行ったら恥をかくと思ったんです。それで、岩波文庫を端から全部読むってのをやったんですよ。

 1日1冊と決めて、岩波文庫の緑(国内文学)、赤(海外文学)、青(哲学・宗教など)の順で1冊ずつ読んでいきました。だからいまだに家に岩波文庫が大量にあります。

 世界的な名作みたいなものはこの時期に読みました。スタンダールとかフローベールとか夏目漱石とか太宰治とか...。谷崎潤一郎は好きでだいたい全部読みました

――読むスピードは速いのですか。

 たぶん普通ですね。何時間かかけて、ようやく一冊読める。哲学系の本はプラトンとかショーペンハウアーとか、薄くて読みやすいものから順に読みましたが、難しいものは2日か3日に分けたりもしました。

 哲学系の本って、古ければ古いほど読みやすいんですよね。問われている内容が子どもの発想に近いというか、分かりやすい。プラトンとかアリストテレスまで遡ったほうが、神とは何だろう、善とは何だろう、人間は何のために生きてるんだろうといった素朴な内容なんですが、現代に近くなるほど、どんどんハイコンテクストになっていく。ニーチェのような例外はあるんですけど

――文転してからは、どのような研究をしていたのですか。

 学部生時代は坂口安吾の研究していたんです。国内の作家のなかではかなり好きな人ですね。全集を読むとつまらない小説はめっちゃつまんないんです。太宰治なんかはそんなにつまらなものがないし、ほとんどの作品が文庫になっているじゃないですか。でも安吾は全集にしか入っていないものも多いし、それも読めたもんじゃなかったりする。作家としての天才度でいうと太宰のほうが上だと僕は思うけど、でも安吾が好きなんですよね。

 安吾って、ひねくれた人なんですよ。『堕落論』とか『日本文化私観』も斜めから見ていて、でも本質を突いているというか。なんか、その世界との距離の取り方が心地よくて好きだった気がします。あと、安吾って酒飲みなのに酒の味が分からなかったらしく、酔っ払いたいから鼻つまんで我慢して飲んでいるんですよ。僕も酒の味が分からないんで、そういうところも好きでした(笑)。松本清張にミステリを書かせたり、横溝正史が売れる前から才能に気づいていたりしているところも好きですね

――では、卒論は安吾だったのですか。

 安吾研究で卒論を書いたんですが、大学院試に落ちまして。院試では第二外国語も必要だからスペイン語もちゃんと勉強しておけと言われていたのに、「まあ受かるだろう」とまったく勉強してなかったら本当に落ちたんです。

 僕、指導教官が松浦寿輝先生だったんです。もう退官されていますから、僕は松浦先生の最後の生徒だったと思います。松浦先生は、びっくりするくらい穏やかで優しいのですが、院に落ちたときはちょっと怒られて(笑)。卒論が受理されると卒業しなくちゃいけないので、受理しないで留年扱いにしてもらって、翌年もう一度、卒論を中上健次で書いて、院試を受けました

SFの論理と理性への信頼感

――大学院に行こうと思ったのはどうしてですか。

 研究者になろうと思ったんですよね。僕の中で人から命令されない職業というのが、「社長」から「大学教授」になったんです

――ブレてませんね。

 まあ、研究が好きだったし。勉強したり本読んだりするのが好きだったんで

――大学院ではチューリングの研究をされたとのことですが。

 数学基礎論の中でチューリングの計算可能性の論文がかなり重要な役割を果たしていたんですよね。計算可能性とかアルゴリズムの研究なら理系的なアプローチになりますが、僕はチューリングの業績に対する人文系の研究をしていました。

 チューリングって、初期は数学者として計算可能性の議論をしてて、中期は暗号解読をして、晩年はコンピューターの話、人工知能の話をし始めて、最終的には形態形成という生物学の研究者になるんです。僕はなぜ彼の研究内容がどんどん変わっていったのか、ということを研究していました

――大学院生時代の読書生活はどんな感じだったのでしょう。

 またSFを読んでいましたね。文転した頃は文学を勉強しようという気持ちで無理して読む本もありましたが、大学院時代は論文や資料を読まなくてはいけない分、その他は単純に好きな本を読んでいました。国内作家では刊行点数は少ないですけれど伊藤計劃とか飛浩隆さんとか。神林長平さんや小川一水さんも好きですね。この時期に小松左京もいっぱい読みました。海外SFもまだ読んでいなかった名作がいっぱいあったので読みました。好きなのはヴォネガットとかテッド・チャンとか。まあテッド・チャンも冊数が少ないですけれど

――ヴォネガットはどのあたりを。

 ほぼ全部読みました。一番好きな作品は時期によって変わるので選ぶのは難しい。ちょっと前に早川書房から『カート・ヴォネガット全短篇』(全4巻)が出たので読んだら、やっぱり短篇も面白いですし。

 ヴォネガットも世界との距離の取り方が安吾ぽくて好きなんですよね。ちょっとひねくれていて、で、ユーモアがあって。

――今さらの質問ですが、小川さんはなぜSFに惹かれるのでしょうか。

 やっぱりSFって、論理と理性に対する信頼感があって、それを武器にしていくんだという根底がある気がするんですよね。もちろんそういう作品ばかりではないけれど。

 世の中って感情とかヒステリーで物事が動くことが多いけれど、SFでは最終的に論理とか理性とか知性とかが世界を作ったり、あるいは世界を動かしたりする。それが昔から心地よかったのかもしれないです。

――大学院に進んでみて、環境の面はいかがでしたか。

 天職だろうと思って進んだんですけれど、大学教授の実態が見えてきて、これは駄目だと。

――人に命令されない人生を送れないと分かってきたってことですか。

 会議だらけだし、夏休みはどんどん短くなっているし、好きなように研究していけるわけじゃない部分もあると分かりました。じゃあ他に何かできるかとなった時に、小説を書こうかな、と。僕は誰かと一緒に働くのも嫌で、一人で出来ることというと漫画家やミュージシャンとかもあるけれどスキルがない。小説だったら日本語が分かれば一応誰でもチャレンジできるんで、それで一念発起して、長篇を書いて第3回ハヤカワSFコンテストに送りました。

――それが大賞を受賞した『ユートロニカのこちら側』だったのですか。いきなり小説を書けたんですか。

 厳密に言うと、前にも小説を書こうとしたことはあったんですけれど、ちゃんと書いたのはそれが初めてでした。まあ、書けましたね(笑)。いや、今思うとあれはぜんぜん書けてないです。

――いやいや、生活が保証されるリゾートのような特別区の設定とか、そこに行った人々のキャラクターが細かく作られていて面白かったです。SFの賞に応募しようとは決めていたのですか。

 純文学も結構読んでいましたけれど、応募する前に調べた結果、ちょっと厳しそうだな、と。僕は明確に専業作家になりたかったんですよ。そのためにどうすればいいか考えた時、本が刊行されないと話にならないと思ったんです。純文学の賞は獲っても本が出ないことがあるけれど、その点ハヤカワSFコンテストは第1回も第2回も、大賞受賞作以外も、最終候補に残った作品がほとんどが本になっていたんです。それで応募先を選んだ気がします。

――そして2015年に作家デビューを果たして、ついに命令されない職業に。

 いや、専業作家になるのが目標なので、その時点ではまだまだ油断ができないというか。ようやくスタート地点に立つ可能性ができた、くらいの感じでした。だからデビュー作が出た後もしばらくは大学院にいて奨学金ももらっていたし、塾講師のバイトもしていました。

――そして2017年に発表した『ゲームの王国』が大評判となり、日本SF大賞と山本周五郎賞も受賞されましたよね。これは1970年代から始まるカンボジアの話で、後にポル・ポトと呼ばれた男の隠し子とされる少女と、貧しい村の神童の少年の人生が激動の時代の中で絡み合っていきますよね。この作品はどういうきっかけで書かれたのですか。

 デビュー作を出した時、好意的な評価もあったんですけど、「翻訳小説みたいだ」「既視感がある」ってことを結構言われたんです。単純に分からなかったですね。僕は翻訳小説をたくさん読んできたけれど、なにが「翻訳小説みたい」なのか分からないし、「既視感がある」というのは言わんとしていることは分かるんですけれど、それぞれの作品はそれぞれの作家が書いているから、設定が似てたり登場人物の配置が似ていたりしても、作品としては別個だと思うんですね。

 でも読者は抽象的に小説を読んでるというか、設定とか雰囲気が似ていると「読んだがことある」と感じるんだなとか、いろいろ勉強になったんです。それで、編集者と「なんか既視感がある、とは誰1人言わない小説を書こう」と話しました。その過程で、カンボジアというのはわりと早い段階で出てきた気がします。結局読者は舞台がどことか設定が何かとかで既視感を持つんだと分かったので。

――じゃあ、それまでカンボジアとかポル・ポトについて詳しかったわけではなく?

 まったく知らなかったです。最初は東南アジアにしようと話していたんです。東南アジアはバチガルピが書いてるけど、カンボジアあたりを舞台したらどうかと。

 そこからカンボジアの歴史などを勉強しました。僕が調べなくても書けることはだいたいみんなもう知っていて、既視感があることになるだろうから、一から勉強するってことはもう確定でした。それはもう、僕が勉強すればいいだけのことなんで。

 それでカンボジアや、東南アジア全体の歴史なんかも勉強しているうちにポル・ポトのことも学んで、これは書かないとまずいとなってああいう話になっていきました。おかげさまで、いろんな感想のなかで、既視感があるとは一度も言われなかったですね。

注目の新作『地図と拳』

――大学院を辞めたタイミングは。

 2019年の3月かな。いろんな出版社から執筆依頼がきて、集英社で連載の仕事をもらって、この先10年くらいは仕事がなくならないだろうと思ったので。大学院に入ったままだと学費がかかるので辞めましたが、研究職に年齢制限はないので、最悪の場合また大学院に戻ってもいいかな、くらいの気持ちでした

――2019年に短篇集『嘘と正典』を刊行されましたが、その頃にはもう大長篇『地図と拳』の連載も始まっていたわけですね。

 短編は連載開始前に書いたものがほとんどだったんですけれど、表題作は書き下ろしで、発売の直前まで書いていたのであれは本当にきつかったです。他の短篇のゲラを出して、それが戻ってくるまでに書き下ろしをやって、それと『地図と拳』の連載が重なってもう大変で、それで休載しました

――『地図と拳』は日露戦争前夜から始まり、満洲が暴力にさらされた時代が描かれますが、これも、もしかして満洲について知識があったわけではなかったんですか。

 知識ゼロでした。当時の編集者に「満洲の大同都邑計画の話を書きませんか」って言われて、面白そうだなと思って。実際にあった都市計画は実現しなかったので、実現した話を書くことにしました

――主な舞台となる満洲の李家鎮(リージャジェン)、のちの仙桃城(シェンタオチョン)という町が生まれて、やがて......というイメージが最初にあったわけですか。

 それはありました。最初にこの都市が主人公の『百年の孤独』みたいな話を書こうとは思っていました

――ああ、李家鎮は『百年の孤独』に出てくる村、マコンドなんですね。

 そうですね、『百年の孤独』とはまったく違う話ですけれども。ガルシア=マルケスは学生時代の岩波文庫1000本ノック時代に単行本で読んで、好きだなと思って他の作品も読んでいたんです。

 でも、『ゲームの王国』のほうがガルシア=マルケスのイメージですね。『地図と拳』の中で起こっていることは、中国の作家、莫言のイメージでした

――現地取材は行かれたのですか。

 連載開始がコロナ前だったので、行けたんですよ。編集者と2人で2~3週間くらい、東北地方の都市をまわりました。ハルビンから長春、瀋陽を経て大連に行って、途中で撫順にも寄って。一度も現地で飲み明かしたりせず、お互いの部屋に直帰するようなかなりストイックな旅でした(笑)。

 現地のガイドにもついてもらったんですが、ハルビンのガイドの人が建築に詳しくて、「これはロシア人が建てたバロック建築です」「こればバロック建築に見えますが中国人が建てたものです」とか、かめちゃくちゃ丁寧に教えてくれて。これは本に活きていますね

――本作では建築というモチーフがすごく重要ですよね。もちろん地図についても、その歴史の話も含めて面白くて。建築や地図が人間の営みにどう影響を与えたか、それが政治や戦争とどう結びついたか、自分の中でとらえ方が変わりました。

 連載前に早くタイトルを決めてくださいと言われたんですが、僕はプロットを作らずに書くので、なるべく作品を限定しないタイトルにしたかったんですよね。いろんな可能性を含んだタイトルのほうが、その後の自分をバインドせずに自由に書けるんで。

 満洲の都市計画の話だから「建築」は頭にあったんですが、「建築と戦争」では新書のタイトルみたいなので、それを別の言葉で言い換えたタイトルにしましょう、という話になって。それで、「建築」を「地図」にして、「戦争」を「拳」にしたんです。書きながら、「地図」は直接戦争と結びつくんだと分かってきて面白かったですね。良いタイトルしたなって思いました。

 ウエルベックの小説に『地図と領土』というタイトルがありますが、『地図と拳』のほうが絶対いいタイトルだなと思っています(笑)。「こぶし」を「けん」と読む人もいるんじゃないかとは思ってますけれど

――作中、炭鉱が抗日ゲリラに襲われて、日本軍が周辺の村の無関係な人々を虐殺する場面もありますが、あれは実際にあった事件ですよね。

 はい、平頂山事件ですね

――実在の歴史的人物ももちろん出てくるし、名前に言及されていなくても、これは石原莞爾だなとか、これは本多維富だなと分かる部分もありますよね。どれくらい史実がベースになっているのかなと思って。

 全部史実といえば史実なんですよね。戦闘場面で起こってることとかは、なるべく史実に沿って書いてるし。李家鎮という村自体は嘘ですけれど、満洲がどういうものだったのかというのは、この小説を通じて大枠を掴めるようにしようと思っていました。

 たとえば、作中に戦争構造研究所というのが出てきますが、これは猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』に、当時、総力戦研究所というのがあって開戦前に仮想内閣を作り、戦争起こしたらどうなるかシミュレーションしていたと書かれてあったんです。

 たしか編集者に「SF要素を入れてください」みたいなことを言われたんですよね。僕がSFの作家だからSFとしてもちょっと売り出せるようにという発想かどうかは知らないですけれど(笑)、そこで猪瀬さんの『昭和16年の敗戦』を思い出して、戦争構造研究所という未来を考える機関を出すことにしました

――この機関を作った人物がものすごく興味深くて...って、あまりネタバレになることは書けませんが。

 彼が活躍するというのは決めていました。これは書きながら気づいたことなんすけど、第二次世界大戦についての小説って、最終的に日本が負けるという究極的なネタバレがありますよね。そのネタバレを知っている人が作中にいたほうが、ストレスなく読めるんじゃないかなっていう。普通は作中の人は全員、戦争に負けるって知らないけれど、誰か1人ぐらい、「いや、負けるでしょう」と思っている人がいたほうが、現代から戦争を見たときの視点として入っていきやすい気がして。そうと読者が意識しなくても、そういう効果はあるんじゃないかなと思いました。最初、あの人物は伊藤計劃の『虐殺器官』のジョン・ポールみたいなイメージだったんですよね。ちょっと違っちゃいましたけれど

――それにしても、小川さんはプロットを立てずに書かれるんですか。

 逆にプロットを立てたら無理ですね。書きながら調べて分かったことが新しい要素になったりするんで。たとえば須野明男という男があの町で何を作るかも、事前には分からなかったことですし...

――須野明男も読者から人気がありそう。体感だけで正確な体温や気温を当てられるという。

 実際に内藤廣先生という東大の先生が、自分で温度を当てるように訓練したっていう話があって、僕、その話がめっちゃ好きだったんです。それを究極系に発展させたキャラクターを出そうと思いました。巻末の参考文献に内藤先生の『構造デザイン講義』『環境デザイン講義』『形態デザイン講義』を載せていますが、これらの本の中でもそういう話をしているので、読めば僕が明男というキャラクターを作る上で内藤先生からどんな影響を受けているか分かります

新刊を読む生活

――それにしても、「満洲を書きませんか」と言われてここまでの物語を書き切るなんて、小川さんは無茶ぶりされても何でも書けそう...。

 可能な無茶ぶりと不可能な無茶ぶりがありますね。なんだろう、たとえば高校生の初恋の話書いてくれとか言われたらそれは難しい(笑)。知らないことを書くといっても、そこに僕にとって、感覚的に、文学というか小説になりそうなものがあるかどうかですね。

――小川さんは小説のジャンルについてはどのように感じていますか。

 あまり考えていないです。SFを書いてくれと言われたらSFのガジェットなり時代設定なりを考えようとは思いますけれど。

 たとえば、『ゲームの王国』を書いた頃から感じているんですけれど、SFと歴史小説って、やっていることは同じなんですよね。自分のいる時代とはまったく違う技術や常識や価値観、政治の形式の時代を書くという点では同じなんです、僕の中では。冲方丁さんとか宮内悠介さんとか上田早夕里さんといったSF作家が歴史ものや時代ものを書いているのは、たぶん一緒だからだと思うんですよね。逆に、歴史小説作家でSFを書いている人もいればいいのに。司馬遼太郎が書いたSFとか読みたかったですね。絶対面白いと思うんです。井上ひさしの『吉里吉里人』とか面白いじゃないですか。あれはSFの名作だと思うんですけれど、ああいうものが書けそうですよね

――今、1日のタイムテーブルみたいなものって決まっていますか。

 日によりますね。取材とかの予定が入っていない日は、昼くらいから原稿をやって、嫌になったらやめる。喫茶店で仕事することが多いので、閉店の時間に終わりにすることが多いです。もちろん締切がある時は嫌になってもやめられないんですけれど。

――最近の読書生活は。

 今年から読売新聞の読書委員になったので、わりと新刊を読んでいます。昔は新刊はぜんぜん読まなかったのに。毎回読書委員で集まって、それぞれ気になった本を何冊か持ち帰って読んでどれを書評に取り上げるか決めるんです。読みたい本を持ち帰るので、もう、本当に趣味の読書ですよね。しかもそれで書評を書いてお金もらえるから、これを本業にできるならこれだけで生活したいって思っちゃいますよね(笑)

――どんな本が面白かったですか。

 フィクションはあまり多くないんですが、今年最初に紹介したのはアンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でした。あれはもう圧倒的に面白かったんで、発売前に「これで書かせてください」って言って書きました。あとは角田光代さんの『タラント』や、年森瑛さんの『N/A』も面白かったですね。

 ノンフィクションはいっぱい紹介したんですが、あまり話題になっている気がしないものでいうと、『ザ・コーポレーション キューバ・マフィア全史』。アメリカで暗躍したキューバ・マフィアが誕生して消えていくまでの実録ノンフィクションです。

 吉丸雄哉さんの『忍者とは何か 忍法・手裏剣・黒装束』もめちゃくちゃ面白かったですね。忍者はどういうふうにして生み出されたのかっていう内容です。たとえば手裏剣なんて絶対に銃にかなわないし、弱いじゃないですか。黒装束だって、あんなの着てたら見られた瞬間に忍者だって分かってしまう。なのになぜそうした忍者が生み出されたのかを、忍者忍術学を研究している大学教授が説明してくれている。この本に万城目学さんのことが出てきたので、万城目さんに「出てますよ」とメールしたら、自分が書いた時にはこういう本がなかったから大変だった、って返信がありました(笑)。

――万城目さんが『とっぴんぱらりの風太郎』を書いた時に、ということですね(笑)。

 そうです

――誰にも命令されない生活は、どれくらい達成できていますか。

 まだまだですね。雑誌の締め切りとか守らなきゃいけないし。書き下ろしの印税だけで生活できるようになるのが一番の夢ですね。村上春樹さんレベルの作家なら、締め切りを催促されたりせず、原稿を書き終えたら一方的に出版社に送りつけてそれで生活できるじゃないですか(笑)

――あはは。でも確かに読者として、作家が焦らずじっくり時間をかけて取り組んだ小説は読みたいですし、それで生活も安定してほしいです。

 そういうのがいいですよね。僕もその時のベストを尽くした作品を出していきたいです

――今後の刊行予定を教えてください。

 10月に『君のクイズ』という、「小説トリッパー」に一挙掲載した話が本になります。クイズプレイヤーが主人公で、大会の決勝で、問題文が読まれてないのに対戦相手がボタンを押して正解したというところからスタートして、なんであいつは問題文が読まれる前に正解が言えたのかを調べていく、みたいな話です。あとは新潮社で書いた短篇がたまっているので、年明けのどこかでたぶん出ると思うんですね。河出書房新社でも短篇がたまっているので、そんなに遠くないうちに出るんじゃないかなと思っています

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で